港までは車で3分。ちょうどその日、中国福州側からの船がやってきて、対岸に戻る利用者がいるというので見に行くことにした。

福澳港は馬祖の海の玄関口だ ©広橋賢蔵

 1月8日からほぼ3年ぶりに復活した福建省―馬祖間の小三通船。初日は馬祖側からの乗客が24人、福建省側から来たのは14人と、180人が乗れる船としては大変こぢんまりと再開した。中国側が自国民にはビザを出さず、現状、両岸を行き来できるのは馬祖の島民籍がある人だけ、と制限がかけられていたからだ。

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 1月11日の復航第2便も、入境18人、出境19人と動きは少なかったが、出境を待つ人々は、私の目には50人は下らないように見えた。どうやら大半が見送りの人々だったようだが、対岸に持ち出す荷物の大きさが半端ではなく、港はけっこうな賑わいを呈していた。

大量の荷物とともに船に乗り込む人々 ©広橋賢蔵

 乗客のカートには段ボールに詰め込まれた大量の物資。中国へ渡る店の従業員を見送るついでに同行してくれた陳さんはこう話してくれた。

「うちの従業員も含めて、ほとんどの乗客は対岸から馬祖に嫁に来た女性たちだよ。ちゃんとダンナのいる女性もいるけど、婚姻実態のない若い子もいる。偽装結婚だよ。やりようによってはこんなのはいくらでも方法がある。日本にだって、同じようにフィリピン人の嫁さんとかたくさんいるんだろう?」

 今世紀に入って始まった、中国との自由な交通を認める「小三通」は、移民の交流も促した。馬祖に流入する人口も増加していき、その中には、経済的な理由で越境する人もいたようだ。

 南竿島に住む親戚縁者を頼ってやってくる子弟も、この十数年で増えたという。滞在中、福建省生まれの30代くらいの男性2人と出会った。1人は南竿での新生活を経て、台湾本島に渡って仕事で揉まれ、今は南竿に戻って高粱酒で香りをつけて焙煎したコーヒーの商いをしていた。もう1人は台湾南部出身の女性と結ばれ、馬祖と台湾本島を行き来しながら、台湾人として生きている。

「北の国境」では密輸が日常茶飯事

 宿に戻ると、風変わりな先客の存在を明かされた。陳さんによれば、「東引島(南竿島の北東60キロ、馬祖列島最北端の島)の近くで中国からの船が転覆して、海巡署に助けられた乗組員がここに仮滞在している。8つのコンテナを積んでいて、どうやら密輸物資だったらしいが、彼は5人の船員のうち唯一の生存者。私は今、署から頼まれて彼の監視役をしている」ということだった。

馬祖の島々の位置関係 ©広橋賢蔵

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