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台湾の「北の砦」馬祖列島 ©広橋賢蔵

(文:広橋賢蔵)

国共内戦に敗れて台湾島に逃れた蒋介石にとって、辛うじて確保した中国大陸沿岸の離島は「大陸反攻」に向けた重要な軍事拠点だった。中華民国が実効支配する領土の最北端に位置し、今も多数の軍人が駐屯する馬祖列島を訪れ、台湾海峡危機について島民たちの本音を探った。

 昨年12月の金門島への取材(「中国が目と鼻の先の「台湾」、中国人観光客を待ちわびる金門島の現実」)を終えて新年を迎えた後、中華民国(台湾)にとっての北の砦である馬祖列島(中国本土の福建省福州市まで直線距離で約60キロ、北側の黄岐半島までは約16キロ)にも行かなくては、と使命感のようなものが湧きあがり、旧正月前のチケットを手にした。

馬祖列島で最も大きいのが南竿島

 訪れる前は、どれほど辺鄙な島なのだろうかと心配していた。「馬祖列島にはコンビニもなく、あるのは台湾の国軍兵士や海巡署(日本の海上保安庁にあたる)相手の個人商店くらいだから、食事にも不便しますよ」などと聞いていたからだ。

 1月11日の早朝、台北松山空港で、軍事訓練に向かうという迷彩服姿の軍人たちとともに、72人乗りのプロペラ機に乗り込んだ。離陸から約50分、厚い雲の間を抜けた後の最初の光景は、馬祖列島最大の南竿島(10.4平方キロ)の西海岸。海岸線は岩でゴツゴツしている。岩肌に少し緑を載せた斜面に、家々が張り付いている。そこにかろうじてある高台の滑走路に航空機は降り立った。この空港は軍用ではなく民間用であるらしい。

 軍人たちは「南竿航空站」のマークの前で記念写真。あまり来ることがないのだろうか。というより、「軍人が観光客のような振舞いをしていてよいのか?」と中華民国の国軍の規律の緩さを感じてしまった。

記念撮影に興じる軍人たち ©広橋賢蔵

3年ぶりに再開した中国側との連絡船に乗り込む人とは

 まずは荷物を下ろすために宿に向かう。宿は中国本土や離島に向かう福澳港の近く、清水村という場所にあった。宿の主人、陳孟麟さん(52)は、2006年に島に初めてできたコンビニの経営者であり(馬祖にもコンビニはあったのだ!)、島の情報通だったため、この旅では常に彼の情報網が頼りになった。

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