密輸行為はもっぱら、警備の行き届かない北部の東引島周辺で行われることが多いそうだ。“国境”地帯だけに、こんな事件は日常茶飯事らしい。陳さんが続ける。

「去年も密輸船が遭難して、台湾側で救助した数人の中国人を本国に返す役割を押し付けられた。そりゃもう大変でした。普通だったら、国境で起きた事件を調停する機関があるじゃないですか。でも、今の民進党政府は中国と対立しているから、両岸の間で“面倒なことは耳を塞いでおけ”という空気が充満していて、誰も調停しようとしないんです。それで私はどうしたかって? 対岸の人に根回しして、中国人たちを小船に乗せて、あちらから来た船にこっそり海上で引き渡したんですよ」

北竿島から対岸の黄岐半島を望む ©広橋賢蔵

 馬祖列島の近海は、冬は荒れやすく船も欠航しやすい。804年5月、空海らを乗せて日本の難波津を中国長安に向け出発した遣唐使船も、途中で荒波に遭い、現在の福建省北部の静かな浦にたどり着いた。それが東引島から北西約70キロの対岸に位置する赤岸村(福建省寧徳市霞浦県)で、村には「空海大師記念堂」もあるという。

 1200年前の航海は決死の思いだったに違いない。まだ見ぬ眩い中国文明を目指して航海に出た空海聖人が、すぐ近くの海上を彷徨っていたのかと思うと、願わくは対岸に渡って記念堂を拝みたい気分になった。だが、馬祖島民でない私はまだ小三通船に乗れないため、今回は泣く泣く諦めた。

 説明が遅れたが、中華民国が実効支配する地域のうち、最も北側に位置しているのが、この馬祖列島である。行政区域としては中華民国福建省連江県の一部だが、連江県の大部分は中国大陸にあり、つまりは中華人民共和国の支配下にある。

 1949年、共産党の人民解放軍に敗れて退却を強いられた国民党軍は、東シナ海に面した福州エリアでも形勢不利となり、堅固な要塞島である北竿島、南竿島と周辺の数島だけで持ちこたえていた。そんな中、1950年に朝鮮戦争が始まってアメリカが極東に介入し、国共内戦も停戦へと向かう。以後、馬祖列島は台湾北部を人民解放軍から守る盾の役割を果たすこととなった。

南竿島の「北海トンネル」は、60年代に上陸用舟艇を100隻ほど収容できる軍事施設として掘られた。現在は観光地化されている ©広橋賢蔵

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