ただ、仕事で軍営に食べ物を届ける時、こんなふうに言っていた。

「今、国軍はこうしてオヤツやらレトルト食品やらを電話ひとつでデリバリーさせる。若い軍人たちをチヤホヤ甘やかしているんですよ。こんな国軍が戦争できますか? かつてはもっと軍規も厳しかったことを考えると不安になりますね」

 港では、悪天候で航空便が欠航になり、船で台湾本島へ修学旅行に向かうという連江県立介寿國民中学の子供たちに出会った。台湾では韓国同様、若い男性には兵役義務がある。しかも、最近の中国との緊張関係の高まりを反映して、今まで4カ月間だった兵役期間が2024年から1年間に延長されることも決まっている。引率していた島民教師に、子供たちの将来について聞いた。

「ここにいる男の子たちはあと数年後には兵役に就くことになります。でも兵役延長については、彼らもまだ実感があるわけではないようです。もちろん人にもよりますが、それを不公平だと考えるよりは、国のためを思って従う子が多いのではないかと考えています」

「私も小さい頃は避難訓練で防空壕に入ったりしましたし、早朝から軍歌を歌いながら厳しい訓練に励む軍人さんを見て育ったので、少しは国防の必要性を理解できます。ただ、平和になって戦時下の訓練もしなくなった今、国防のあり方について子供たちに何を伝えたらいいのか、難しいところです」

子供たちが戦場へ行くような時代が来ないことを願う ©広橋賢蔵

 旅の最終日、帰途に就く航空便を待っている際、国軍の志願兵だという青年が話しかけてきた。入隊4年目で、20年は勤め上げるつもりだという。どうやら軍事オタクらしく、無味乾燥な離島に配属されたことも意に介さず、屈託がない。春節休暇で台中の実家に戻るという彼に、「人民解放軍が攻めてきた時はどう対応するのか」と尋ねた。

「あくまで島民の意志に従い、島民が投降するというなら我々も武器を構えずに投降せよ、と上官に言われています」ということだった。

 なるほど、北の砦を守備する国軍というのは、形式的なものになりつつあるのかもしれない。「この島では軍人も民間人も一体化している」という王県長の話は、ある意味で的を射た表現だったのだ、と腑に落ちた。

それでも守りたい領土と平和な暮らし

 台湾本島で暮らしていて思いもつかなかったことを最前線の島で考える、というのも不思議な体験である。これを日本にたとえれば、米軍基地がひしめく沖縄のことを普段は他人事のように思っているが、いざ現地に赴いて辺野古の新基地建設の現場を目の当たりにしたら、様々な憂いが湧き上がるような感覚に似ている。

 中国共産党が大陸で急速に支持を広げ、中華民国を圧倒していく中、金門や馬祖を含む数々の要塞島は、大陸反攻を諦めない蒋介石が意地でもしがみついた最後の砦だった。それでも国軍は次第に追い詰められ、50年に上海沖の舟山群島を捨て、55年には浙江省台州近海の大陳列島も全島民を避難させた上で放棄。辛うじて残されたのが、この馬祖列島だったわけだ。

 60年前の緊張は過去のものとなり、台湾本土にいると「金門馬祖など、中国にくれてやってもいい」といった尖った物言いをする人々もいるが、この島々のたどった運命を考えると、冗談でもそのような軽口は叩けなくなる。

 歴史のひと雫のように残された最前線の島々が、今後も平和であることを祈るばかりだ。

広橋賢蔵
台湾在住ライター。台湾観光案内ブログ『歩く台北』編集者。近著に『台湾の秘湯迷走旅』(共著、双葉文庫)など。

 

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