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中華民国の主権の象徴とされてきた金門島 ©広橋賢蔵

(文:広橋賢蔵)

2022年、世界に衝撃を与えたウクライナ戦争の勃発とともに、台湾有事の可能性をめぐる議論が沸騰した。中台両岸の思惑に関する分析や、実際に有事が起きた時のシミュレーションは数あるが、“最前線”に住む人々はいったい何を考えているのだろうか。中国大陸の福建省廈門から目と鼻の先にある台湾領の島、金門島へ飛んだ。

最前線の要塞から「台湾経済のショーケース」へ

 台北・松山空港から金門空港まで1時間足らずのフライト。台湾海峡はこんなに狭いのかと改めて感じる。行政区分としては中華民国福建省金門県とされているが、福建省の中で中華民国(台湾)が統治しているのは金門県のみである。人口は約14万人。空港から、県の中枢である金城の街へ向かう。街の中心に鎮座するのは蒋介石像。台湾本島ではすでに見られない光景だ。台座には「民族救星」と刻まれている。

蒋介石像。台湾本土ではもう見かけない光景だ ©広橋賢蔵

 たしかに、金門島を共産党の統治から守ったという意味では、「救い主」には違いない。1949年に中国大陸から撤退を続けていた国民党は、台湾本島の他、台湾海峡に面する澎湖島、金門島、馬祖列島を辛うじて防衛し、現在まで主権を守り続けている。

 特に金門島は1949年10月に中共からの総攻撃を受けたが、それを撃退したことで中華民国の主権の象徴的な地となった。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米軍は台湾海峡防衛のために第7艦隊を派遣。それにともなって金門島も要塞化され、国民党軍は10万人もの兵力をこの島に注入することになる。

 そして1958年にも中共側からの大攻撃を受けるが、やはり迎撃。島内には当時の勝利を記念するモニュメントや資料館が残され、現在では観光地化されている。

 台湾本島の民主化が進み、1992年に金門島でも戒厳令が解かれた後は、駐留する兵士は徐々に減少していった。それに反して増えていったのが、台湾本島および中国大陸からの訪問者だった。台湾各地から金門への航空路線が整備されるのと同時に、廈門(アモイ)-金門間で船の往来が開始された。それは中国と台湾の間で通商、通航、通郵を認める「三通」に対し「小三通」と呼ばれ、島と大陸との交流を促した。

 台湾からは中国ビジネスに向かう人々が中継地として利用し、中国からの人々は観光に訪れる。平和な時代が到来し、金門島は福建省の人々が気軽に行ける「出島」というべき、豊かな台湾の物資を得るショーケース化していくのだ。

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