通商条約による未来攘夷への転換

 和親条約は、鎖国の域内に止まり、なんとか祖法を守り抜けたが、通商条約の締結は時間の問題となっていた。しかし、通商条約は鎖国から開国への対外方針の転換であると同時に、国体の転換を伴うものであった。

 通商条約の締結に向けた最大の問題は、国体の転換が自身の御代に起こることを痛烈に嫌い、勅許を許さない孝明天皇の存在であった。幕府の言いなりになり続けていた朝廷が、明確に開国にNGを突きつけたことは、幕府始まって以来の青天の霹靂であった。このことが、幕末を未曽有の大混乱に陥れることになるとは、孝明天皇も想定外のことであったろう。

孝明天皇

 幕府は列強と朝廷の板挟みとなり、窮した挙げ句に通商条約を勅許なしで調印(1858)してしまった。日本は通商条約を締結し、対外的には開国政策を取りながら、国内的には、国是は依然として「鎖国」(攘夷)のままであったのだ。

 そこで幕府は、積極的開国路線から「未来攘夷」へと舵を切らざるを得なくなった。幕府は朝廷に対し、今回の通商条約は一時的なもので、いずれ鎖国に復して攘夷を実行すると宣言したのだ。朝廷に対する方便でもあったが、幕閣の意志は間違いなく、武備充実後の攘夷実行にあった。それはこの当時から、「臥薪嘗胆」という言葉を用いて、捲土重来を期していたことからもうかがえよう。