文豪たちの涙ぐましい努力も「師」の一言で報われた(写真はイメージ)

 新年を迎えて心機一転、今年こそ理想の自分に近づきたいと奮い立っている人も少なくないだろう。人生の目標が見つからない人は「憧れの人」を頭に描いて、その人に近づけるように努力してみるとよいかもしれない。文壇史に名を刻んだ文豪たちもそうだった。多くの文豪が、心の中で目標とする「憧れの人」の背中を追って、文壇デビューを果たしている。文豪はどんな文豪を愛したのか――。文豪同士の「愛」にフォーカスした『文豪が愛した文豪』(彩図社)を著した真山知幸氏に解説してもらった。(JBpress編集部)

夏目漱石の前で小さくなった芥川龍之介の大胆な一言

 圧倒的な存在感に思わず縮こまってしまう・・・。憧れの人を目の前にすると、誰もがそんな状況に陥ってもおかしくはない。そして、そんなときほど、思わず変なことを口走ってしまうものである。芥川龍之介もまさにそうだった。

芥川龍之介(写真:近現代PL/アフロ)

 芥川龍之介にとって、25歳年上の文豪、夏目漱石は、まさに雲の上の存在。自然と畏怖してしまう文学上の師だった。漱石の弟子が集まる木曜会においても、芥川は緊張しっ放し。芥川自身の回想からも、その様子がありありと伝わってくる。

「木曜会では色々な議論が出ました。小宮先生などは、先生に喰ってかかることが多く、私達若いものは、はらはらしたものです」

「小宮先生」とは漱石の弟子のなかでも、ひときわ師との距離感が近かった小宮豊隆である。一方の芥川は、漱石のもとに出入りし始めた頃、まだ大学生だった。緊張するのも無理はないだろう。

夏目漱石(写真:TopFoto/アフロ)

 木曜会では、ひたすら小さくなっていた芥川。ところが、ある一言が、みなの注目を浴びてしまう。芥川が話の流れでこんなことを言った。

「最近自分は、トルストイの『戦争と平和』を、英訳で二日二晩かけて読み通しました」

 それは嘘だろう、と誰もが思ったに違いない。なぜならば、『戦争と平和』は1000ページ近い大作である。いくら芥川が英文科の秀才とはいえ、たった二日で読むのは人間離れしている。

 場には何とも言えない張り詰めた空気が流れた。漱石は知ったかぶりを何よりも嫌うからだ。みなが師の反応に注目するなか、漱石は目をしょぼしょぼさせながら、聞き返した。

「へえ、それは本当かい」

 こうなったら、もう後には引けない。そう思ったのか、芥川はこう言い張っている。

「ええ、興に乗じて二晩とも徹夜してしまいました」

 芥川の返答に、漱石はそれ以上、何も言わなかったという。それもまた怖い。芥川も「まずい、言いすぎた」と焦ったのではないだろうか。

 緊張のあまり、大胆なことを口走ってしまう――。芥川は、そんな「あこがれの人あるある」をやってしまったのかもしれない。