連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識
性のあり方とは、本来多様なものであり、定まった定義は存在しない。
例えば、自分の性別を決めていない人・決められない人。男女両性の要素があると感じる人。人間を恋愛対象として見ることができない人など様々な性の形が存在する。
2015年に電通ダイバーシティ・ラボが行った調査によれば性的マイノリティの割合は7.6%。40人中3人が性的少数者との報告がある。
東京オリンピックでLGBTであることを公表し出場したアスリートが181人いたという。
LGBTとはレズビアン(女性同性愛者)のL、ゲイ(男性同性愛者)のG、バイセクシュアル(両性愛者)のB、トランスジェンダー(性自認が出生時の性別と異なる人)のT、とそれぞれの頭文字をとった言葉で性的少数者を表す総称である。
では同性愛者や両性愛者、性自認が出生時の性別と異なる人が性的少数者であるという線引きは、いつ誰が引いたのだろうか。
性の自由を封圧してきた権力者
人類の歴史のかなり古くから性道徳は存在し、少なくとも建前論としてはかなりの力をもって、人々の性欲の逸脱を規制する機能を果たしていた。
そして今日でも、性道徳自体に偉大なる力があると信じて疑わない人も少なからずいるだろう。
権力の座にあり、世の中を意のままに治め、人の心を一つの方向に向けさせようと考えている支配者には、民衆の個人的な自由を可能な限り束縛しておいた方が万事都合がよい。
そして政治的な分野、宗教的な分野の支配層たちは、人心と秩序の乱れを守るという口実のもと、自分たちの性的放恣(ほうし)は棚に上げ、一般民衆の性的な活動を締めつけ、性道徳を声高らかに掲げてきた。
それにとどまることなく支配者は、性行動に基準を線引きすることで、いわゆる性的少数者を社会から分断したのである。