たくさんのメディアが内覧会に来ていたので、施設の詳細は他の記事を見てほしい。隈研吾ウオッチャーとしての私がここで特記しておきたいのは、隈氏がここ宮城県南三陸町だけでなく、岩手県陸前高田市、福島県浪江町でも震災復興のプロジェクトを手掛けていることだ。復興3県制覇である。私の知る限り、そんな建築家は他にいない。

 岩手県陸前高田市の「陸前高田アムウェイハウス まちの縁側」は以前、記事にした。

震災から10年、陸前高田は隈・伊東・内藤・丹下で「建築観光」にも注力
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隈氏の強さの秘密は「さんさん商店街」に

 震災直後に、積極的に被災地で提案をしていた建築家はたくさんいた。隈氏はそんなに目立つ感じではなかった。後からぬうっと現れた隈氏が逆転勝利みたいにも見える。なぜそうなるのか。

 もちろん隈氏が「国立競技場」を設計した有名な建築家だから、ということはあるだろう。しかし、今回の道の駅も、計画が動き出したのは、隈氏が国立競技場コンペで勝つ前だ。

 これは私の想像だが、隈氏の強さのヒントは、このエリアで一番最初にできた「さんさん商店街」にあると思う。言い方が悪いかもしれないが、この施設、よくありそうな木造切り妻が並んでいるだけだ。

 私が建築家だったら、もっと変わったデザインの建物を主張して、発注者とやり合う。そして、それがなんとか実現できたとしても、「もう二度と頼まない」と思われ、発注者との関係は途切れる。

 高知県の檮原町や茨城県の境町を見たときにも同じことを思ったのだが、“隈建築の集積地”となっている町の最初の隈建築は、いずれも大人しい。やり過ぎない。そして徐々に挑戦的なデザインになっていく。それが隈氏の戦略なのか、流れに委ねているだけなのかは分からない。だが、その“独走しなさ”は、自治体が隈氏に未来を託したくなる大きな理由の1つであると私は見ている。