日本の建築史上、最もお茶の間に浸透した建築家、隈研吾氏。その人気の背景には、ビジネスにも通じるヒントがある──。書籍『隈研吾建築図鑑』を執筆した元建築雑誌記者で現在は画文家の宮沢洋氏が、「隈研吾ブレイクの理由」を5回にわたって読み解く。(JBpress)
第1回●周回遅れの逆境が隈研吾を国民的建築家に押し上げた
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65115
第2回●丹下、黒川とは全く異なる隈研吾のコスパ感覚
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65116
第3回●じわりと依頼主の信頼を得る隈研吾の高度なコミュ力
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65172
第4回●低予算でも爪痕を残す隈研吾流ゆるふわブランド術
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65173
第5回●隈研吾人気、謎を解くカギは「繰り返しを恐れない」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65174
今、一般の人が最もメディアで顔を見る建築家は、隈研吾氏であると思う。隈研吾建築都市設計事務所の主宰者で、東京大学特別教授。1954年生まれの66歳だ。日本には“建築界のノーベル賞”と呼ばれる「プリツカー賞」を受賞した現役建築家が7人いるが(槇文彦、安藤忠雄、妹島和世、西沢立衛、伊東豊雄、坂茂、磯崎新の各氏)、隈氏はこの賞をまだもらっていない。それでも、茶の間への浸透度では安藤忠雄氏と同列か、ここ数年に限れば隈氏が上ではないか。
一般の人の認知度がぐんと上がるきっかけになったのは2019年末に完成した「国立競技場」だろう。これは隈氏が単独で設計したものではなく、「大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所共同企業体」という混成チームでの設計だが、メディア上では隈氏が登場する機会が多く、顔と名が売れた。
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国立から居酒屋まで仕事を選ばず
そして、国立競技場によって「国」を代表する建築家となったにもかかわらず、隈氏は依然として地方都市の小さな建物を数多く設計している。居酒屋だって設計してしまう。建築家としての活動約35年間で、プロジェクト数は1000の大台に近づこうとしている(未完成や仮設のパビリオンなども含む)。仕事を選ばない建築家──。そこが、先に挙げた著名建築家たちと大きく異なるところだ。