“隈研吾の聖地”ともいうべき高知県梼原町の梼原町役場(写真:宮沢洋)

日本の建築史上、最もお茶の間に浸透した建築家、隈研吾氏。その人気の背景には、ビジネスにも通じるヒントがある──。書籍『隈研吾建築図鑑』を執筆した元建築雑誌記者で現在は画文家の宮沢洋氏が、「隈研吾ブレイクの理由」を5回にわたって読み解く。第3回は依頼主との信頼関係の築き方について。(JBpress)

第1回●周回遅れの逆境が隈研吾を国民的建築家に押し上げた
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65115

第2回●丹下、黒川とは全く異なる隈研吾のコスパ感覚
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65116

第3回●じわりと依頼主の信頼を得る隈研吾の高度なコミュ力
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65172
第4回●低予算でも爪痕を残す隈研吾流ゆるふわブランド術
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65173

第5回●隈研吾人気、謎を解くカギは「繰り返しを恐れない」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65174

 高知県に“隈研吾の聖地”ともいうべき町がある。愛媛県との境界にある「梼原(ゆすはら町)」だ。この町は、隈研吾氏のコミュケーション能力の高さを象徴する町である。

高知県梼原町は愛媛県との県境にある(記事中イラストはすべて宮沢洋、『隈研吾建築図鑑』用に作成したもの)

 本連載の第1回(「周回遅れの逆境が隈研吾を国民的建築家に押し上げた」)で、隈氏はバブル崩壊から10年間、地方の仕事ばかりしていたと書いた。梼原町はその時代に関係を持った地方自治体の1つだ。隈氏は2000年に栃木県の2つの建築(那珂川町馬頭広重美術館と石の美術館)で“復活”を果たすが、その約10年後、2度目のブレイクの舞台となったのがこの梼原町でのプロジェクト群だった。

 完成年順に見てみよう。

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(1)梼原町地域交流施設(雲の上のホテル)
完成:1994年
所在地:梼原町太郎川3799-3
発注者:梼原町
設計者:隈研吾建築都市設計事務所、小谷設計、プラザデザインコンサルタント(実施設計協力)