密教では事相(呪術)を極めようとする人が珍しくなった昨今、密教の呪術はすでに遠い昔の伝説になってしまったと感じている人は多い。

 だが、なぜ霊験が現代のものではなく、過去の伝説となってしまったのか。

 それは日々、闇の世界に科学の光があたり、霊験を実践すべき、肝心要の真言宗の僧侶らが、霊験の力を信じきることができず、その神秘の力を放棄してしまったからにほかならない。

 だが、現代においても常識や学問では解明しえないものはいくらでもある。

 昨今、特に米国では、実際に医療と祈りの関連性を臨床によって解明する研究は、多くの大学で散見されている。

 また、旧ソ連時代には軍事面でテレパシーや透視など、霊的な作用が実際に使えないか、そうした特殊能力を持つ人たちを集めて実験していたとの話もある。

「物理こそが現実であり、科学が真実」

 こうした価値観が世界中に定着し150年あまりが経過したが、いかに科学が発達して人工知能や量子コンピューターが開発され、実用化されようとしている時代になっても、霊験による現象と考えられる事象が、私たちの生きるこの世の中の日常に数多く生じている。

 真言宗の核心は大日如来をその発露としている。それは神秘の力であり、煩雑な事相の作法や型ではない。

 作法や型は霊験を誘うための方法のプロセスに過ぎず、肝心なのは印契を結び、真言を唱え、神仏の慈悲を観じながら、深く禅譲に入る。

 つまり、神仏の心と溶け込んで一体となる秘密瑜伽の観法にある。密教の真髄は、この一点に尽くされるもので、そこに至らなければ何も起きることはないという。