真言宗の祈りは、祈りといわず、お加持という。

 お加持は霊験、そのものである。祈願者と行者と神仏が一体となって神秘の力が発揮されることを加持感応という。

 恵観師のところには医者に見放された祈願者の方が数多く脚を運ばれるが、加持祈祷により、病に苦しむ人に癒しを与えることは、患者が服用する薬と同じか、それ以上に効果を生む場合も、現実に数多くあるという。

 加持祈祷の原理は、人間の心の力を活用することにある。

 それは人の心には、自身の病気や障害を乗り越える「力」があり、人の心、つまり人を癒し、治したいという意思には、癒しの力が具わっていて、その心を活用することで、病を癒し、病に苦しむ人に具わる治癒力を引き出されるというのである。

 そうした病気や障害を乗り越えるために、人の心の「力」を活用する行為は、昔から世界中の各地で行われ実証されてきた。

 加持祈祷で、最も肝腎なのは印と真言と観想が一体となって共鳴することで、全身全霊、力と精神の融合がはかられることだという。

 印契を組むというのは神仏の前で、神仏と一体となって溶け合う印だ。印に魂・精神の籠らないものは、じゃんけんと同じで指先の遊び事にすぎない。

 真言もまたしかりで、心のこもらない言葉は、ただの戯言である。

 本来、真言とは真の言葉であり、大宇宙生命体が擬神化した大日如来の言葉であり、真言を唱えるには、口先だけで唱えるのではなく、腹の底から唱えなければ、その威力が生かされにくいという。

 密教の奥義、それは広大無辺の宇宙と溶け合うことで一体になる。密教では私たちの天空に広がる大宇宙と、自身の内部に宿る小宇宙が一体化して連動することを瑜伽の境地と明示している。

 小宇宙と大宇宙が連動することで「個」から「全」へと移行する。人間が本来備わる心の揺らぎが仏の慈悲へと溶解する。それが大宇宙大生命体と一体となる入我我入の境地と恵観師は明示する。

 では、そのカギとなるものとは何か・・・、それについては、本書をご一読いただきたい。