人が深い森に足を踏み入れた瞬間、都会の日常の社会生活の空間とは明らかに異なる空気感を感じるように、動物的な感知による、理屈ではない空気感の変化があった。

 行者は老婆の頭、首、肩、背中、腰に順に両手をあてている。30分ほど経過しただろうか。

 突然、再び手で何かを連続して形づくると息を凝縮して吐き、素早く九字を斬った直後、気合いを発した。

 私は部屋の中に落雷したのかと錯覚するほど、その勢いに押されて身を仰け反らせながら卒倒した。

 雷鳴が鳴り響くような強烈な衝撃波を人間が発することなどできるものなのか・・・。

あの老婆はどうなったのか

 もし、医者から末期癌で「これは難しいですね」と宣告されれば、誰でも絶望の淵に立たされる思いになり、精神的にも不安定になるだろう。

 だが、慈愛に満ちた笑みを浮かべた、大柄で頼もしい佇まいを漂わせた行者に、一点の曇りもない透き通った瞳と力強い語勢で「もう大丈夫ですから」とハッキリ告げられたら・・・。

 これで自分も助かるかもしれないと思ってしまうのではないか。たとえ回復の見込みの薄い病人であっても、鎖が外され、生気が与えられたかのように、心が持ち上げられ、元気づけられる気がするのである。

 1か月後、ホテルの大きな喫茶店で、その老婆と義理の息子と行者が会うことになったというので、その後の経過が気になっていた私も、同席させてもらうことにした。

 あの侠客然とした男は、「喉頭癌がみるみる小さくなりました。不思議だ。こんなことは有り得ない、と医者も首を捻ってました」と言う。

 満悦の表情を浮かべながら、行者に恐縮そうに何度も何度も深々と頭を下げていた。

 私はその後、この不思議な行者のいくつかの著書の編纂にかかわることになり、以来、親交を重ねている。

 その行者は高野山真言宗の宿老・別格本山清浄心院住職・池口恵観師である。