清の西太后。映画では、宦官が夜に女性を咸豊帝のもとに運んでゆく様子を西太后が見ているシーンを描いている。(写真:近現代PL/アフロ)
小都市並みの規模を持つ巨大な密室、後宮。イスラム文化圏のハレムなどと違い、中国的な後宮は、中国の歴代王朝にしか存在しない。そして王朝の永続のために、その制度は改良され続けた。後宮を舞台としたアニメ『薬屋のひとりごと』が人気を博すなど、さまざまな作品でも描かれてきた。3000年以上も存続した後宮は、中華帝国の本質を映し出す国家システムだ。中国史に詳しい明治大学の加藤徹教授は、新著『後宮 宋から清末まで』で、その後宮を軸にした中国史に迫った。
(*)本稿は『後宮 宋から清末まで』(加藤徹著、角川新書)の一部を抜粋・再編集したものです。
清の後宮の特徴は管理制
清の後宮の特徴をふりかえってみよう。清は中華帝国の完成態だった。
後宮の制度も完備していた。漢の成帝のように腹上死をした皇帝や、明の嘉靖帝のように宮女たちに殺されそうになった皇帝は、清には一人もいない。秦の趙高や明の劉瑾のように国政を壟断する宦官もあらわれなかった。
世継ぎを作る場所、という後宮最大の使命も、よくまっとうされた。歴代皇帝の系図を見ると、初代のヌルハチから第十代の同治帝までは、順調な父子相続が続いた。これは、なかなかできることではない。
清では、皇帝の性行為も、管理下で行われた。
明王朝までの皇帝の性生活は、おおらかだった。自分から、気にいった妃の部屋に赴き、寵愛した。ベッドを共にする女性の数も、時間も、制限はなかったのだ。
清王朝の後宮では、不測の事態を防止するため、「翻牌子(ほんはいし)」の制度をとった。
昼間、皇帝が政務をとっているとき、宦官が木の名札を載せたお盆を捧げもち、皇帝の前にひざまずく。皇帝は、盆の木札を見て、その夜に「呼ぶ」女性の名札を選んでひっくり返す。名前を書いた「牌子」をひっくり返すので、翻牌子、という。
気に入った女性の名札がなければ、盆をさげさせ、あらためて別の札を並べた盆を持ってこさせる。
宦官は、皇帝が選んだ名札の女性の部屋に行き、今夜、お召しがあることを伝える。
時間がくると、女性は全裸になり、みずから布団にくるまる。全裸になるのは、凶器の持参を防ぐためである。宦官は女性を布団ごと抱えあげ、夜の後宮の中を小走りに進み、皇帝の居室に届ける。小柄な女性なら1人で、大柄な女性は2人で抱えて運ぶ。
ちなみに、1985年に日本で公開された中国・香港合作映画『西太后』には、宦官が夜、女性を包んで咸豊帝(かんぽうてい)のもとに運んでゆくのを、若き日の西太后が複雑な気持ちで眺めるシーンが出てくる。

