床入りしたあとも監視役が聞き耳

 宦官は、女性を皇帝の居所に届けたあとも、外で控えている。定められた制限時間がくると「時間でございます」と、部屋の外から声をかける。まだ終わらなければ、時を置いてまた「時間でございます」と呼びかける。

 事が終わると、宦官は、布団にくるまった女性を抱え上げて、彼女の部屋に連れ戻す。ピロートークを楽しむ時間はない。

 文書係は、皇帝がどの女性を何時に呼び出し、どれくらいの時間を過ごしたかを記録する。後宮の女性の主人である皇后は、その記録を見て、夫の健康を管理する。

 実は、江戸時代の将軍の性生活も似たようなものだった。大奥で将軍と床をともにする女性は、事前に身体検査をされた。かんざしなど、尖ったものは凶器になりうるので、はずさねばならなかったのだ。

 女性が大奥で将軍と床入りしたあとも、監視役が聞き耳を立てていた。監視役は隣に布団をしいて添い寝した、という説もあるが、近年の研究では障子一枚は隔てていたらしい。

 ともあれ、女性が「男の子ができたら次の将軍にしてくださいね」などと甘いおねだりをして将軍が「うん」と答えないよう、監視役がずっと聞き耳を立てた。そして、将軍と女性の寝物語も含めて、大奥の責任者に細大漏らさず報告をした。

 皇帝や将軍の子作りは、国家の運命をにぎる政治的な営みだったのである。

後宮のなごり

 江戸時代の大奥の様子は、秘密だった。大奥で働いた女性たちは、引退後も、秘密を墓場まで持ってゆかねばならなかった。

 明治時代になり、幕府も大奥も消滅したあと、昔の大奥の実態が公開されるようになった。例えば、明治時代に東京帝国大学史談会が、昔の幕府の関係者に聞き取り調査をして作成した報告書『旧事諮問録』には、大奥の女性の証言も載せている。

 三田村鳶魚(えんぎょ)の著作『御殿女中』や、『朝野新聞』の記事にも、江戸時代の多くの御殿女中たちの聞き書きを載せる。

 中国も同様である。清末の後宮の内情については、もと宮女やもと宦官による証言が、数多く残っている。ラストエンペラーこと溥儀(ふぎ)自身も、『わが半生』で紫禁城小朝廷の生活を回顧している。

 西太后に仕えた女官や宦官の手記のうち、徳齢の『西太后に侍して』(太田七郎・田中克己訳)や、張仲忱の『最後の宦官 小徳張』(岩井茂樹訳)などは、日本でも広く読まれている。