自然破壊を抑えるために、一部をトンネル化するなどした再ルートを策定するのに時間がかかり、1984年にようやく工事再開となった。松川大橋が完成したのはその翌年、1985年だ。

 計画道路の運命が決まったのは1995年。工事関連業者が原生林の自然破壊を行っており、翌年の融雪時にそれが発覚したのだ。岩手県は調査や討議を重ねた結果、当時の岩手県知事が定例記者会見で工事再開を断念することを明らかにした(表1)。事実上の工事永久停止である。工事開始から33年の歳月が経っていた。

表1 岩手県道212号建設の経緯

 工事が凍結された1996年の時点で、延長約16kmの80%が出来上がっており、あと約3kmで全通というところでの事業凍結だった。それまでに投入された事業費は約46億円で、消化率は61%。トンネルが作られていなかったためか、距離に比べた事業費消化率はやや低かった。

 そうはいえども、せっかく途中まで作った道路を放棄してしまうのはあまりにもったいない。道路工事再開を断念した2年後の2000年に、岩手県はすでに完成している区間の有効利用案を検討し、「登山道」として整備することで、未完成の3kmをつなぐことにした。

 工事開始から42年後の2007年、一部区間は歩行者だけが通れる登山道という形で、県道212号はついに全線開通した。

松川大橋の通行制限ゲートの手前にある登山箱が、ここが登山道の入口であることを示している

「地元としては自動車道として結んでほしい」

 212号が当初の計画通りに開通しなかったのには、40年以上の時間が経つことで起こった社会環境の変化が大きかったように思う。工事が中断された1971年ごろの、自然保護運動の高まりがあり、再開までの10年以上でさらに状況が変わった。その間に高度成長期の「とにかく開発」という風潮、「なにがなんでも道路を作る」という気運が下火になっていったことが影響したことは間違いない。

 ただ、せっかく途中まで作ったのだから全通させたいという強い想いは、関係者にあったはずだ。また、地元の住民にとっては、地域活性化への期待もあっただろう。