蛇島奪還ならプーチン政権は停戦交渉の有力カードを失う
では具体的にどうするのか。注目は2022年4月頃からアメリカが90門、オーストラリアとカナダ合わせて10門、合計100門をウクライナに供与した最新式の牽引式155mm榴弾砲「M777」で、愛称は「トリプルセブン」だ。
最大の特長は「重量が4トン強」という超軽量さで、同様の榴弾砲(同7~8トン)に比べ約半分に過ぎない。この差は極めて大きく、これまでの同種の大砲の場合、大型ヘリコプターによるスリング(吊下げ)輸送が不可欠だったが、M777の場合は、自衛隊も使用するUH-60や旧ソ連/ロシア製のミルMi-8/-17など、ありふれた中型ヘリコプターでもスリング輸送が可能なのである。
加えて40kmという超長射程(155mm砲は通常最大で30km)を叩き出し、しかもGPS誘導機能で高い命中率を有する「エクスカリバー」砲弾を使用できる点も特筆だろう。
例えばウクライナ軍が保有するMi-17ヘリでM777をドナウ河口のデルタ地帯に降ろし、35km先の蛇島に狙いを定める。デルタ地帯は軟弱地盤で道路や橋も皆無なため、ヘリコプターを使わない限り砲兵隊の布陣は困難だろう。使用する砲弾は射程40kmの「エクスカリバー」なので、蛇島には余裕で砲撃を加えられる。加えてGPSによる精密砲撃ができるため、「ムダ撃ち」せずに島内のSAM施設やロシア兵が立てこもる塹壕(ざんごう)などにピンポイント攻撃もできるはずだ。
M777を数門並べ、数日にわたり昼夜問わず砲撃を続ければ、さすがのロシア将兵も戦意喪失で白旗を上げるだろう。
加えて2022年5月にNATO加盟国のデンマークが、「ハープーン」SSMの地上発射型をウクライナに供与すると発表、これも同島奪還にとって非常に心強いアイテムとなる。ウクライナ国産の「ネプチューン」は開発間もなく信頼性も不明で、また半導体不足も相まって量産化には至っていないという。ハープーンはこれをカバーする意味合いがあり、射程はネプチューンと同じ300kmに達し、しかも信頼性にも優れるため、ロシア側にとっては脅威だろう。
「ロシアの攻撃機が砲兵隊を爆撃するのでは」との懸念もあるが、この地域はNATO加盟国のルーマニアに隣接する場所。NATOやアメリカ軍の最先端の偵察機・電子妨害機がルーマニア領空内を24時間体制で周回し、相手側の動きを逐一チェックしている。それでも攻撃を試みる場合は、ウクライナ南部をカバーする地上発射型の長距離SAM「S300」や射程数10km程度の近距離SAM、さらには兵士1人で発射できるアメリカ製の携帯式SAM「スティンガー」などによる何重もの防空網をかいくぐらなければないため、ほとんど不可能だろう。
さらにロシアは極超音速ミサイルや巡航ミサイルなど様々な長距離ミサイルを駆使して砲兵隊を潰しにかかるのでは、と心配する向きもある。だがこれらは建物や施設など動かない「固定目標」の攻撃がメーンで、逆に動く目標は大きな艦船以外命中は至難の技。つまり超軽量のM777の場合、例えばあちらこちらに予備陣地を構築しておき、数分間射撃したらヘリコプターで別の陣地にサーっと移動し砲撃を再開、といった具合に「モグラ叩き」の要領で攻撃を回避すればいい。
ゼレンスキー政権が蛇島を奪還すれば、プーチン政権は来るべき停戦交渉での有力カードを失うことになる。
2022年5月に入ってからロシア側は「船による穀物の出荷を認める代わりに、西側の対ロ制裁を解除せよ」と、穀物版“人道回廊”をちらつかせて揺さぶりをかけ始めている。もちろん穀物輸出に窮するウクライナや、食糧高騰に悩む欧米の足元を見た卑怯なやり口だが、蛇島を奪い返してドナウ河ルートを盤石にすれば、プーチン氏の無理筋な条件に対する強力なカウンターにもなるだろう。
逆に島を奪還しないまま停戦した場合、ロシア側が島の防御の強化に乗り出すことは必至で、こうなれば奪還は厄介になってしまう。
黒海に浮かぶ小さな島の帰趨から目が離せない。