ミサイルを装填中の中国海軍の潜水艦(4月22日撮影、China Militaryより)

ゼロコロナ政策から抜け出せない

 中国の大都市上海市では3月28日からロックダウン(都市封鎖)が始まり、5月末で約2か月が経つ。

 上海市の副市長は5月16日の記者会見で、住民への外出制限を段階的に緩和し、6月1日から6月中下旬にかけて、「正常な生産と生活を全面的に回復する」と述べた。

 この間、あまりにも厳しい封鎖措置に、上海市民からは悲鳴と怒りの声が上がり、国際社会からはサプライチェーンの混乱・悪化などの世界経済や私権制限による人権に及ぼす影響の甚大さが指摘され、「ゼロコロナ政策」は持続不能だとの見解が示された。

 しかし、それでもなお中国はゼロコロナ政策からの政策転換ができない。なぜか――。

 それは、国家を超越し、その上位から国家を指導する中国共産党の主義・体制に起因する「無謬性」の位置付けと習近平国家主席が追求する個人崇拝の独裁体制にある。

 中国が、このような政治システムを採り続ける限り、一度決めた戦略や基本政策には、状況の変化に対応して柔軟かつ適切に変更することができない硬直性の問題が付きまとう。

 しかも、それを容易に克服することができない宿痾的な構造欠陥として引き摺ることになる。

中国共産党の無謬性と独裁体制

 中国の憲法は、その前文で「中国共産党の指導の下」に国家を運営することを謳っている。

 しかし、憲法の「総則」(第1章)以下の憲法本文には、一党独裁の中国共産党に関する記述は一切見当たらない。

 憲法第3章の「国家機構」にも、最高の国家権力機関とされている全国人民代表大会(日本の国会に相当)以下の国家機構(下記【参考】参照)が書かれているものの、中国共産党に関しては一切記述されていない。

 そのことは、中国共産党は国家機構を超越する絶対的・超然的・神的権威権力、すなわち自党を「無謬性」の権威権力として位置付け、それを根拠に、少数エリートが人民・国家を指導する特権的・独裁的支配が行われることを意味している。

 その上、習近平主席は、少数エリートの集団指導体制から逸脱して、毛沢東と並ぶ個人崇拝の独裁体制を確立しようとしている。

 自らが指導する中国共産党の政治では、何事にも間違があるはずがないとの思想で貫かれているのである。