「日本赤軍」とは何だったのか
あれからさらに21年以上が過ぎた……。
三度目に遭遇した重信房子は、がんを患っていた。私達の前で彼女は静かに謝罪と感謝の言葉を述べた。配られた彼女の手書きのプレスリリースにも、かつての自分の在り方への反省や謝罪と共に命を繫いで出所出来た事への感謝が綴られていた。また、文の中で彼女はかっての「武装闘争路線」は間違っていたとはっきり表明している。だが、当時はそう考えなかったとも……。
出所した重信に対して、世論は概して冷たい。「テロリストをヒロイン扱いするな」「何人もの殺人に関与し、日本を破壊しようとした人間の病気を、なぜ日本の税金を使って治療してやる必要があったのか」などといった主張がネットには溢れている。
そうした意見は至極もっともではある。ただ、そこになんとなく座り心地の悪さを感じてしまうのも、私の正直な感想だ。
決して賛美するつもりはないが、ふと、かつての武装闘争で若い命を散らした者たちの事を想う。彼らは、結果的に社会に迷惑をかけることもあったかもしれないが、自らの信じる行動を貫こうとし、そして挫折した。テロは論外だが、若者の、少々向こう見ずな行動さえ許容しない空気が現代は蔓延していないだろうか。「義務を果たせ」「責任を取れ」「社会に迷惑をかけるな」。どれも間違っているわけではないが、あまりに若者を縛り付けすぎてはいないだろうか。
いったい日本赤軍とは何だったのだろうか? 時代が作り出した鬼っ子だったのか? それともあだ花か? 「若者に蔓延したウイルスだ」という者もいる。
そう決めつける事は容易だろう。しかし、半世紀前の若者たちの想いをそのひと言で、「兵どもが夢の跡」とばかりに、忘却の彼方へ押し流してもいいのだろうか?
今回の重信出所に対してのマスコミの大騒ぎも、身勝手だが自分の信念に基づいて行動した人間に対する「妬み」が背景にあるように思う。
若者に蔓延した「ウイルス」というひと言で忘却しようとする現代にも、また別の病が巣くっているのではないか。
「他人に迷惑をかけるな」
と、皆は言う。確かにそれはそうだけど……。