台北101ビルなどを背に笑顔の宝田明さん。得意の中国語を駆使し、香港や台湾には多くの知己がいた=2014年4月1日、吉村剛史撮影

(ジャーナリスト 吉村剛史)

 世界中にファンを持つ日本生まれの特撮怪獣映画「ゴジラ」第1作(1954)主演でスターダムにのしあがり、以後約200本の映画をはじめ、ミュージカルなど舞台で活躍してきた俳優の宝田明さんが3月14日未明、誤嚥性肺炎で急逝した。87歳。

 満州引き揚げ前にソ連兵に撃たれた壮絶な生い立ちや、「反戦」を前面に打ち出した晩年の政治的発言などを軸に、さまざまな評伝が報じられているが、生前交流があった筆者には、台湾の李登輝総統との古くから親交の思い出話や、クリミア半島を併合しウクライナに圧力を加えていたロシア、香港や台湾への強圧的姿勢を強め続ける中国などに対する揺れ動く思いなども打ち明けていた。

特定の国への憎悪に苦悩したスター

「あのときのソ連兵の暴虐ぶりを思うと、今でも旧ソ連、ロシアという国全体を許せない気持ちが心の9割を占める……」

 温厚なスター俳優は一瞬、語気を強めた。

 特定の国が対象の「憎悪」といった毒々しい感情は、彼が言う「右から左まで、すべてがお客さん」という俳優業には似つかわしくない。だが自身の理性では制御できない感情のやり場に「長年苦しんできた」と語りながら、夜の台湾・台北市内で静かに杯を傾けた。2014年3~4月のことだ。

 折しもロシアにより、ウクライナの一部とみなされていたクリミア半島が併合された直後のこと。宝田さんの口から飛び出す言葉には「次世代に、市民としての戦争体験者として何が遺せるか?」「何気ない日常こそ尊い」という自問や信念、日本や台湾の将来への憂慮、平和への強い思いがにじみでていた。

 この時の宝田さんは、聖路加国際病院理事長だった日野原重明(1911~2017)の企画・原案により、レオ・バスカーリア作の絵本を舞台化したミュージカル「葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜」の台湾公演を計画し、要路への下準備のために台北を訪れていた。その際、当時産経新聞台北支局長だった筆者を人づてに訪ねてきて、「メシ食いましょう」と気さくに誘い出してくれたのだった。