小平奈緒(北京五輪スピードスケート女子500m、写真:長田洋平/アフロスポーツ)

(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)

 今回の北京冬季オリンピックはそれほど楽しみにしていたわけではなかった。いうことがなにひとつ信用できない中国共産党主催ということもあるが、IOCの拝金主義とやり口の汚さがわかるにしたがって、昔みたいに無邪気に楽しめなくなったのである。

 昨夏の東京オリンピックのときからそうだった。スポーツ業界のうさんくささや、マスコミに煽られた「金メダル」幻想に乗ってはしゃぐ一部の選手たちにも嫌気がさした。

 それでも、あるひとつの価値のために、10年も20年も過酷で地味な努力を自分に課して精進している選手には敬意を払ってきた。世の中で認められている価値の上に、いわば剣術修行者のように、自分個人の人間的成長と技量の進化という価値を重ね合わせたひとたちである。今度の大会でいえば、わたしが注目したのは、スピードスケートの小平奈緒選手と高木美帆選手であり、ノルディック複合の渡部暁斗選手である。もうひとり、世界初の4回転アクセルに挑む羽生結弦選手もそうである。

試合は予想外の結果だったが

 小平奈緒選手に関していえば、前回の平昌オリンピックのときの、李相花(イ・サンファ)選手との思いがけない友情物語に感動した。わたしにとっては平昌のハイライトだった。ふたりは10代のころからしのぎを削ってきたが、小平選手は平昌で、李相花選手の500mの3連覇を阻んだのだった。しかしふたりがあんなに固い友情で結ばれていたとは夢にも思わなかった。ふたりはアスリート同士の、しかも日韓選手の間で、国を超えた友情を育くんでいたのだった。おたがいに尊敬しあう、おなじ価値観を共にする者同士だったのだろう。

2018年平昌五輪スピードスケート女子500mでの小平奈緒(金メダル)と李相花(銀メダル)(写真:ZUMA Press/アフロ)

 2009年当時、小平選手は短・中距離では国内で敵なしだった。しかし14年のソチオリンピックでは500mと1000mでメダルに届かず、世界で戦えるようにと、2年間単身オランダに留学した。ひとりで考え、ひとりで状況を打開し、ひとりで闘ったのである。その最高の結果は平昌で結実したが(500mで金、1000mで銀)、ここ1,2年は股関節の違和感に苦しみ、全盛時の絶対性を失っていた。500mでも常勝将軍ではなくなり、中距離が得意な高木美帆にも負けることがあった。

 それでも最近は復調傾向にあり、わたしも今度の大会は500mで小平金、高木銀、1000mで高木金、小平銀なら理想的だと思っていた。ところが、予想外の結果となった。あろうことか、小平が500mで17位と惨敗したのだ。なにかがおかしいと思ったが、スタートでただ蹴躓いただけだとおもい、1000mではせめて銀をとるのではないかと期待した。小平は500mのあと、体調は「絶望的」といったが、結局、1000mでも10位に沈んだあと、小平ははじめてケガをしていた事実を明かしたのである。