(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)

 なにが楽しくて生きているのか、という、人を小バカにする言葉がある。たいていは、酒も煙草もやらない、賭け事もしない、女性にも手を出さないような堅物、朴念仁に対して投げかけられる、ちょっとしたからかいの言葉である。

 わたしは昭和の昔、酒を飲まないという一事だけで、この言葉をいわれたことがある。おそらくその人は、わたしが気に入らず、元々悪意をもっていたのだろう。いった本人は、自分がたかだか酒が飲めることが自慢らしかったようだが、それを除けば、そういうあんたこそなにが楽しくて生きているのか? といい返したくなるような人間だった。

 だが、わたしは元来、性温厚な人間だから、そんな程度のことでいちいち、いい返しはしなかった。ただそのとき、わたしがいいたいことはこうだった。「ばかだな、おれは生きてるだけで楽しいんだよ」と。

「やりたいこと」があるわけではないが

 わたしは信じられないことに、現在73歳である。ちょうど2年前の10月、いきなり脳梗塞に見舞われた。幸い、ほとんど後遺症もなく回復した。しかし脳梗塞は再発しやすい病気らしく、毎日血圧降下剤と血液がサラサラになる薬を服用している。あと水を最低でも1.5リットル摂り、塩分を抑えている(できれば1日6グラム以内)。軽運動も必要というので平均1万歩のウォーキングをしている(最大2万歩)。わたしの場合1歩は80センチだから、1日約8キロメートル歩く勘定になる。

 というわけで、わたしは死を頭のどこかでほんの少しは意識しているのだが、このような仕儀で、いったい何歳くらいまで生きられるものなのか。73歳といえば、いつ死んでもおかしくない年齢である。もちろん80、90でも元気な人はいくらでもいるが、70前後で亡くなられる方も少なくはない。

 年寄りのなかにはたまに、いつ死んでもいい、明日死んでも平気だ、なんの後悔もない、と豪語する人がいるが、本心かどうかわからない(わたしはひとりだけ、本気の人を知っている。かれは老人ではなく壮年の人だが)。

 それでわたしはどうか? と考えてみた。明日いきなり死んでも平気か、と。正直にいえば、それは困る、いやだな、と思った。やはり生きている方がいいな、と。これは未練であろう。