(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
渡哲也が8月、肺炎のため亡くなった。78歳だった。わたしはデビュー当時から知っているし、かれが好きだったから、そういう人物が亡くなるというのは、ちょっと感慨深い。
かれの青春時代から老年に至るまでを全部見たという気がする。溌溂とした若さで銀幕を飾り、石原軍団の幹部としてたびたび話題にのぼり、映画界最後のスターといわれて、終始人気があった。プライベートでは、焚火が好き、というのが好ましかった。
かれは青山学院大学空手部の主将で、頑健な体だと思っていたが、病に悩まされつづけた後半生だったようである。学生時代、かれが食堂(レストラン?)に入ったとき、アメリカ人のおばさんたちが数人いて、しきりにナイスボーイだと噂していた、というエピソードを覚えている。1から10まで晴れやかな男だった。しかし晩年のかれはその面影もないほど、いかにも老いていた。
だれしも「きれいだったとき」はある
それにしても異様に若くて元気なのは加山雄三である。1937年生まれで、わたしよりちょうど10歳上の83歳。たしかに見た目も若く、行動も若い。本人もそのことがご自慢のようである。それでサプリメントのCMで、まあ決められたセリフなのだろうが、「ついてこいよッ」と視聴者に声をかけている。やだね、と思う。かれの若さに感心はするが、羨ましくはないのだ。
ところが、心身の若さを誇っていた加山雄三が、初期の脳梗塞にかかった。最近もまた誤嚥で短期入院した。見た目は若くても、体や内臓はやはり年相応に老けているのである。裸になれば老人の体なのだろう。年をとって、あまり若さや健康をひけらかすもんじゃないなと思う。なにが起こるかわかったもんじゃないのだ。
茨木のり子に「わたしが一番きれいだったとき」という詩がある。わたしが一番きれいだったとき、まわりの人たちがたくさん死んだとか、わたしの頭はからっぽだったとか、戦争に負けたとか、わたしはふしあわせだった・・・などと書かれている(詩をこんな半端な形で引用して茨木のり子には申し訳ない)。