(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
今村翔吾という作家がいる。まだ30代半ばだが、江戸の武家火消しの世界を書いて、いきなり時代小説作家の第一線に飛び出した俊英である。
その今村がなんと、松永弾正久秀を書いたというので、どういうふうに書いたのかと『じんかん』を期待して読んでみたら、これがまったく新しい松永久秀像を提示していて、とんでもない傑作だったのである。わたしの中では、日本の小説今年度No.1である。
松永弾正久秀という男は、戦国時代最大の悪人といわれる。主君の三好義興を殺し、将軍足利義輝を殺し、東大寺大仏殿を焼き落とした。錦絵に描かれたその姿は悪鬼そのものだ。奈良好きのわたしは、こいつが大仏殿を焼き討ちした張本人かと思い、とんでもねえやつだ、と嫌っていた。
神仏を信じない小気味よさ
ところがまあ驚いた。稀代の大悪人・松永弾正久秀がまったく正反対の、戦国最大のクールヘッド、ウォームハートの理性的英雄として造型されていたのである。信玄や謙信や早雲など、どんな有名な武将にもひけをとらない立派な武将なのだ。
久秀はまず神仏を信じない。これが小気味がいい。もし神仏がいるのなら、なぜ庶民や農民を平然と殺戮し、大量の孤児を生んで平気な戦国の世を放置しておくのか。だから久秀が目指す理想社会はなんと、侍のいない、住民の自治による平和な社会である。
荒唐無稽な話ではない。たしかに当時の常識を超えた理念が示されはするが、今村翔吾はかなり説得的な物語をつくっている。久秀が犯したとされる三つの大罪についても、きちんとした説明をしている。わたしはすっかりこの新しい松永久秀に魅了されてしまった。恐るべし今村翔吾、である。