オリンピックのちょうど1か月前、練習に向かう道路で滑って、右足首を捻挫したのである。靴が履けず練習もできないまま北京に入った。小平は「4年間、台無しになってしまった。つらかった」といった。その状態が「絶望的」だったのだ。慣れない左足スタートで練習したりしていたが、うまくいかなかった。それで惨敗の理由がわかった。こういうことはわりと多い。試合前に選手たちはケガを明かすことができないのである。

インスタに投稿したすばらしい言葉

 1000mのレース前、小平は北京に来たことの意味を自分にも納得させるように、自分が楽しんでスケートをすることが多くの人の心に響くのではないか、また自分自身も心からレースを楽しもうと思ったと、らしからぬことをいった。元々「楽しむ」というようなことをいう選手ではなく、事実、そんな足の状態で勝てない試合をしても、「楽しめる」わけがないのである。

 そんな、らしからぬ言葉よりも、彼女は素晴らしい言葉を残した。インスタグラムに、「成し遂げることはできずとも、自分なりにやり遂げることはできたと思っています」「心も身体も、今ここにあるものは全て使い果たせた」「カタチには何も残らない五輪でしたが、この先もそよ風のように『あ、今の風心地良かったな』と思っていただける存在でいられたら幸いです」と書いたのである(「小平奈緒「カタチには何も残らない五輪」…「この先も、そよ風のような存在でいられたら」」(読売新聞オンライン、2022/02/18、https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2022/20220218-OYT1T50224/)。

小平奈緒(北京五輪スピードスケート女子1000m、写真:青木紘二/アフロスポーツ)

 この言葉こそ、小平奈緒にふさわしい。「カタチには何も残らない」選手がたくさんいるだろう。数からいえば、そのほうが断然多い。しかし小平にとっては、そこに涙も、繰り言も、口惜しさもなかった。だから、悔しかっただろうとか、残念だったなとか、情けないなどと思わずにいてもらいたい。そうではなくて、「あ、今の風心地良かったな」と、自分を「そよ風」のような存在と感じてもらえるならうれしい、と小平奈緒は書いたのである。そんなことを書いたのは小平ただひとりである。

高木を一番に祝福しなかった理由

 このような小平奈緒の心情をよく理解していると思われる人物評を読んだ。嘘くさいマスコミのスポーツ評や賛辞ばかりのなかで、強く印象に残った出色の記事である。書いたひとはスポーツニッポン社専門委員の君島圭介氏。

 高木美帆の女子1000メートルでの金メダルが決定した瞬間、君島氏は小平の挙措を見た。氏はその現場にいたのだろう。「小平はそっと立ち上がると静かに勝者から離れていった。握手を求めたり、抱きしめたり、声をかけることもしなかった。そっけないな、とも、冷たいな、とも見えたかもしれない」。このあとの氏の観察が鋭い。