コロンブスの“不平等交換”
実際、1492年にコロンブスが新世界(アメリカ)に達すると、旧世界(ヨーロッパ、アフリカ)と新世界との間で産品や人々が交換されるようになりました。このことをアメリカの歴史学者アルフレッド・クロスビー(1931-2018)は「コロンブスの交換」と呼びました。
「コロンブスの交換」は、奴隷がアフリカからアメリカへ、砂糖がアメリカからヨーロッパへ、工業製品がヨーロッパからアフリカへ輸出される「三角貿易」でした。
新世界から旧世界に移植された食料としては、トウモロコシ、キャッサバ、トマト、ジャガイモ、ピーナッツ、カボチャ、サツマイモ、たばこ、パイナップル、カカオなどがあります。一方、旧世界から新世界に送られたものとして、ぶどう、バナナ、サトウキビ、ミツバチ、玉ねぎ、オリーブ、コーヒー、コショウ、ニンニク、レタス、モモ、コメ、大麦、カブ、小麦、大豆などがあります。
少し時間はかかりましたが、ジャガイモやトウモロコシ、トマトはヨーロッパの食料事情を大きく改善させました。
もっともこの交換は、新世界に住む先住民にとってはそれほど有難いものではありませんでした。日本の山本紀夫氏(1943-)は、現実には新世界の人々が圧倒的に不利だったので「コロンブスの不平等交換」と名づけています。
というのも、新世界の「発見」に伴い、商品だけでなく人も移動しました。新世界には、ヨーロッパからは植民地での一攫千金を夢見た商人が、アフリカからは大量の奴隷が移住することになりました。
ところが、逆に新世界から旧世界に移住する人々はいませんでした。それは、新世界にはなかった天然痘、はしか、インフルエンザ、水痘、チフス、腸チフス、ジフテリアなどの疫病が旧世界から持ち込まれたからです。