2018年の夏は本当に暑く、日本でも最高気温の記録が更新されました。地球温暖化は非常に大きな環境問題ですが、それに伴う問題として深刻なのが「砂漠化」です。

 歴史的に見て、砂漠化は世界のあちこちで生じてきましたが、その原因は温暖化だけではありません。例えば農耕文明発祥の地・メソポタミアは、農業用の灌漑のせいで塩害が発生し砂漠化が進んだ、と言われています。砂漠化にはいろいろな要因があるのです。どうやら人類は、温暖化よりも先に、砂漠化の問題に悩まされてきたようです。

 この「砂漠化」は、私たちの歴史にもさまざまな面で影響を及ぼしてきました。例えば、長期的な視点に立てば、サハラの砂漠化(というかサハラ砂漠の拡大)が大航海時代を誘発し、さらにはヨーロッパのアジアに対する優位性を生み出した、とも言えるのです。今回はその関連性を明らかにしたいと思います。

「塩の道」サハラ横断交易ルート

 アフリカの歴史、特にサハラ以南の歴史については分かっていないことも多いのですが、西アフリカには8〜11世紀に黒人王国のガーナ王国が存在していました。

 この黒人王国が誕生する契機となったのは、サハラ砂漠を通行する交易の興隆でした。

 ガーナ王国の版図は、西アフリカを流れるセネガル川と、ギニア山地からサハラ砂漠に向かって北東に向かった後に大きく南に向かって湾曲しギニア湾に注ぎ込むニジェール川という2つの大河に接していました。

 セネガル川もニジェール川も、上流に金の産出地を擁していました。その金の交易を牛耳っていたのがガーナ王国だったのです。

 ガーナ王国の域内で金が産出されていたわけではありません。金が取れたのはセネガル川の上流域のバンブクやニジェール川の上流域のブーレで、ガーナ王国はその交易路を支配することで、利益を得ていたのでした。

 交易の相手となるのは、主に北アフリカのムスリム商人でした。彼らの交易ルートは、現在のエジプトから西南西に向かってサハラ砂漠を斜めに渡り、サヘル地帯にぶつかったところで東から西に向かうというルートでした。サヘル地帯とは、サハラ砂漠南縁に東西に広がる半乾燥地帯のことです。このルートの往来を支えたのは、乾燥地に強いヒトコブラクダの存在でした。

 ムスリム商品がもたらす主な商品は、サハラ砂漠の岩塩鉱から切り出してきた岩塩です。アフリカ内陸部では塩は非常に貴重な物資でした。これは現在でも変わりません。ガーナ王国ではその岩塩を手に入れるのに、それと同じ重量の金と交換したと言われます。