前回の連載で、コペルニクスがどのようにして新しい天文学を打ち立てたのかについて述べました。今回は、ケプラーからガリレオに至る天文学の進展について解説しようと思います。
(参考)コペルニクスの地動説の礎となったスコラ学と12世紀ルネサンス
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66619
「科学革命」と呼ばれる一大変化は、おおむね17世紀に生じました。それを締めくくる人物は、万有引力の発見者のニュートンと言ってよいでしょう。
そのニュートン以前に天文学を大きく進展させた人物として、コペルニクス以外にも、ケプラーとガリレオが挙げられます。この2人による天文学上の発見は、実は天文学にとどまらず、キリスト教社会の根幹を揺るがすものだったのです。
ヨハネス・ケプラー
ケプラーの天文学がそれ以前の天文学者のそれと決定的に違っていたのは、天体の回転を完全な円ではなく、楕円だとしたことにあります。
この点において、ケプラーの研究は天文学にブレークスルーをもたらしました。当時のキリスト教の考え方に従えば天体運動は完全な円を描いているものとされていました。ケプラーはそうした考え方に囚われなかったのです。
ヨハネス・ケプラー(1571〜1630)は、神聖ローマ帝国のヴァイル・デア・シュタット(現在のドイツのシュトゥットガルトの西方)という町に生まれました。ケプラー家は、プロテスタントを信仰する家でした。
ケプラーは1587年に聖職者を目指してテュービンゲン大学の学生になりました。もちろん神学を学ぶ予定でしたが、ここでミヒャエル・メリストンという天文学者と出会い、数学と天文学にも興味をもつようになりました。