1928年、東京の街を歩くモダンガール(写真:akg-images/アフロ)

 連載の第64回で、日本の高度経済成長について述べました。戦争で焼け野原になった日本が急速に復興する奇跡の経済成長を牽引したのは、生産財ではなく、消費財でした。つまり消費文化の急速な浸透が経済成長を一気に加速させたのです。

(参考)日本の高度成長を振り返る なぜ奇蹟は起きたのか
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64270

戦前の日本で花開いた消費文化

 実は戦前にも、消費文化が開花した時代がありました。それは1920年代の「モダンガール」に代表されるような、人々が欧米の社会やファッションに憧れを抱いた時代でした。またこの時代は大正デモクラシーの時代でもあり、民主主義(当時は「民本主義」と言われました)が発展した時代でもありました。

 ところがこの華やかな時代も突然終わりを迎えます。1929年にアメリカで大恐慌が発生すると、世界を巻き込んだ不況の時代になります。日本も不況に突入し、『大学は出たけれど』(1929年、松竹キネマ)という映画ができるほど(現在よりもずっとエリートであった大学を卒業しても就職がない)の不景気になったのです。

 これによりせっかく花開いた消費文化は停滞しました。そのうえ1931年から始まる「十五年戦争」のため、多くの物資が戦争のために振り向けられるようになり、軍需工業に直結する重工業こそ発展しますが、消費文化は一気に社会から失われてしまったのです。