ムスリム商人を介さず金や香辛料を入手する方法を模索
最初の大きな動機は、ムスリム(イスラーム教徒)の手を経ず、西アフリカから金を輸入することにありました。西アフリカからヨーロッパにもたらされる金は、ムスリム商人がラクダのキャラバンを組んでのサハラ縦断交易によって運ばれてきたものでした(連載の第7回を参照)。
(参考)サハラの砂漠化が大航海時代を誘引したと言える理由 【連載】ビジネスに効く! 世界史最前線(第7回)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54304
そのため金の価格はムスリム商人に決定権がありました。
そのためポルトガル人は、自分たちで金を輸入したいと考えました。そこでアフリカ西岸にたどり着く航路を発見し、海上ルートで金を輸入することに成功したのです。さらにポルトガル人は、アフリカ西岸を南下し喜望峰を「発見」、インド航路を開拓していきました。
喜望峰を回ってアフリカ東岸に沿って北上、インド洋に抜けるルートの発見は、ヨーロッパの国々を大航海時代に引き込む大きな動機となりました。
もともとヨーロッパは、アジアの船で運ばれてきた香辛料を輸入していました。もう少し詳しく言うなら、東南アジアのモルッカ諸島からインド洋、紅海を経てエジプトのアレクサンドリアまでアジアの船で運ばれた香辛料は、そこからイタリア船に積み替えられ、ヨーロッパのあちこちに輸送されていたのです。
この貿易ルートもムスリム商人が押さえていました。しかし直接インド洋、東南アジアに到達できる海上ルートがあれば香辛料の輸入で莫大な利益を上げることが可能になります。これもまた、ヨーロッパが大型船で遠い海まで乗り出すようになる大きな動機となりました。
しかし、それ以外にも大きな理由がありました。それは、当時の世界が「小氷期」に入っていたということです。