キリスト教徒の筆者が考える「私たちが生きる意味」
私が傲慢なだけかもしれませんが、少しでも関わった人が、私に無断で死ぬのは許せないんです。お前ら、何勝手に死んでんだよ。私に何かできたかもしれないだろ。カネは貸さないけど。いずれ神の御許に魂が送られるのならば、安心して、満足して、幸福に包まれていてほしいんですよ。
私たちが、生きる意味って、どれだけたくさん笑ったか、時間を楽しく送ったか、安心して、豊かな気持ちで暮らせたかでしょう。これを抜きにして、暮らしは語れない。そして、そういう人生を送れるよう努力をするのが人生の醍醐味なんじゃないのかなって、いろんな人生を見ていると最近すごく強く思います。
そして、本当にいろんなことがあるけれど、借りてくれていたシングルマザーは二人の息子さんたちとともに、同じアパートで暮らす例の離婚して破産した元経営者と再婚するんだそうです。いつの間にそんな絆を育んでいたんだ。お前ら、何勝手に再婚してんだよ。それはもう、お幸せに、ですよ。おっさんは働け。立ち直れ。今すぐにだ。そう思います。
個人的には、このコロナ下で、いきなり二部屋空いてしまいそうで涙目ですが、早くいいとこ探して出て行けよ。二度とワンルームに帰ってくるな。
まあ、何にせよ、いまより良い生活を送り、幸せに過ごすことに対して、怠けてはいけないということなんじゃないかと思いますね。健康にしても、収入にしても、家族にしても。私も遅い結婚をして、子供が4人できて初めて、人生の味わいとは何であるのかを知ることができました。それだけでも、私のようなクズを選んで結婚してくれた家内には心から感謝しています。
この原稿の最後に書くのも何ですが、前述の救急搬送されたコロナの爺さん、無事退院して自室に戻ってきたとの連絡が、さっきありました。良かったね。いや、ほんと良かったと思います。
家賃払え。