団体総合決勝で棄権した米バイルズ選手(写真:PA Images/アフロ)

 2016年のリオデジャネイロ五輪の体操競技において、女子団体・個人総合・跳馬・床で金メダルを獲得し4冠を達成した米国のシモーン・バイルズ選手。世界体操競技選手権でも通算25個のメダル獲得と、男女を通じて史上最多の獲得メダル数を叩き出しており、世界の体操史上最も偉大な選手と目されている。

 そのバイルズ選手が、7月27日の東京オリンピック団体総合決勝の途中から「精神的ストレス」を理由に演技を取りやめ、29日の個人総合決勝、8月1日の種目別決勝の跳馬と段違い平行棒を棄権したことは世界を驚かせた。

 体操選手の間で「ツイスティ」と呼ばれる一種の見当識障害が来日前から頻発しており、けがを避けるためだと伝えられている。回復のため、順天堂大学の施設を特別に4日間、非公開で利用し、練習を重ねたバイルズ選手は、3日の種目別の平均台決勝に出場して銅メダルを獲得した。

 米リベラル主流メディアでは、おおむね「勇断」「素晴らしいリーダーシップの教訓」「スポーツ界の悪しき体質にリセットボタンを押した」「自らの心と体を守るために極めて重要な場面でも退く勇気」などと好意的な論調で扱われている。事実、一部の論客による「quitter(腰抜け、意気地なし、憶病者)」「unpatriotic(非愛国的、非国民)」「国の恥」「責任の放棄」「子供じみている」という批判的な声は保守派の中でさえ少数派にとどまる。

 もっとも、メンタルヘルスを理由に全仏オープンを棄権した「テニスの女王」こと大坂なおみ選手に触発されたと公言するバイルズ選手の行動を賞賛する論調には、(1)「退く勇気」が一部の層にしか認められない特権であること、(2)バイルズ選手や大坂選手の棄権を動機づけし得る商業的利益、(3)彼女らの問題提起が「私」を「公」に優先させようとするジェンダー文化戦争の文脈で起こっていること──などについて未検証の部分が残る。

 本稿では、2回に分けてこれらの側面を分析してみたい。