陽の西川・陰の小柴
Bファクトリーとカミオカンデ

 同い年で、目から鼻に抜ける秀才として音に聞こえた西川さんが、強烈なキャラクターの「陽の思想」であったのが、シカゴ帰りではるかにスロースターターだった小柴昌俊さんを「陰の思想」に向かわせた一因だろう・・・などと、私たち口さがない物理学生の間で囁いたりしていました。

 西川さんのお父さん、西川正治・東京帝国大学理学部物理学科教授は世界的に見ても早い時期に最先端のX線解析で成果を出したパイオニアです。

 日本物理学の原点で白虎隊の生き残り、山川健次郎が育てた長岡半太郎など和製・先端物理第1世代に続く、寺田寅彦など第2世代の旗手、西川正治。

 彼は寺田教授が日本に導入した当時最先端のX線解析で画期的な結果を出し、戦後は文化勲章も受章しました。

 その碩学のご子息でサラブレッドの西川哲治先生・・・といったレベルの認識で、私自身は止まっていました。

 誰もが知る素粒子実験のスーパースター。西川先生の「トリスタン」に、かつて小柴研は「水玉実験」を提案、あえなく却下されたりしていた。

 そこで向かっていったのが「陰の思想」です。この「陰の思想」とは何か――。

 猛烈な高エネルギー加速器の建設ではなく、地下の廃鉱山に澄んだ水を大量に湛え、宇宙から飛来するニュートリノを待つという、完全に別の発想を小柴さんが実行に移したこと・・・。

カミオカンデ」の創成・・・を指しています。 

 当時の助手、渡邊靖志さんの分かりやすく楽しい解説がありましたのでリンク(http://www.npointelligence.com/Techno-Intelligence/Theme-A/Theme22(Kamio)/theme22.html)しておきます。

 結果的にラッキーだった小柴氏は、この「陰の思想」の水玉、カミオカンデを本来の「陽子崩壊」から「太陽ニュートリノ」にターゲット変更したところ、ほどなく「超新星爆発」からのニュートリノを捉え、ノーベル賞ももらいます。

 しかし、これは序曲にすぎません。

 本質的には「ニュートリノ振動」という、現在の標準理論では説明がつかない現象が大本命でした。

 しかし、この仕事は初代の助手であった須田英博、第2期の学生であった戸塚洋二といった人たちの尽力があって成立したもので、決して小柴という「一将」で成ったものではありません。

 第1期の折戸周治先生、山田作衛両先生も。研究室の立ち上げから、それこそ骨身を削って頑張られた。

 当時の小柴研といえば朝から晩までいつでも働いている、恐ろしげな猛者の集団のイメージ、いまは温和な浅井祥仁君が跡を継いでいますが、浅井の妥協のなさ、徹底ぶりはむしろ上の世代に輪をかけるほど綿密繊細を徹底しています。

 ところが上記のメンバーは山田さん以外全員、皆働きすぎて早くに亡くなってしまいます。

 生き残った梶田さんがノーベル賞をもらって、いまは日本学術会議会長なども務めている。小柴さんも先日鬼籍に入られた・・・。

 といったわき道は置いておいて、日本素粒子実験「サラブレッド・マフィア」の大ボス、西川哲治にして「霜田研究室」の出身だという・・・。

 率直に申して、全く知りませんでした。

「小柴のカミオカンデ」は現時点までで2個のノーベル賞をとっている。

 では他方、素粒子実験のサラブレッド・マフィアなどと失礼な表現をしてしまいましたが「西川のトリスタン」はどうだったのか、と見れば・・・。

 トリスタンの後継プロジェクト、Bファクトリーの実験が「小林益川理論」を検証し、2008年の小林誠・益川敏英両氏のノーベル物理学賞に直結しています。

 霜田研直系の学統からは、分野を超えたノーベル賞が、日本と海外を問わず、実はいくつもいくつも出ていることになる。

 このとき同時にノーベル賞を「半世紀遅れで」南部陽一郎先生がお受けになったのを思い出すにつけ、褒賞などというのはあてにならないものです。

 こういうすべての原点に、後述するように霜田先生の「火花を散らすような」実験の現実があった。私自身そのことを今日まで認識していませんでした。

 本当の才能は、ロビー活動などには目もくれず、昼夜自分の仕事場で夢中になってテーマに取り組んでいる。

 その典型を私たちは「霜田光一」先生に見るわけです。