バルカン政治家・三木の恐ろしさ
『自民党戦国史〈上〉』によると、伊藤は三木改造内閣発足直後の76年9月20日、「学者グループの一人」から「十一月十五日公示、十二月五日投票」(注:当時の衆院選の選挙期間は20日間)との情報を得ている。任期満了の衆院選は「公職選挙法三一条の二項の解釈論から当然出てくる結論だ」(同書、287ページ)というのだ。76年時点での公選法31条は以下の通りである。現在も維持されている法律であり、太字の日数のみが衆院選の選挙期間の短縮に伴い(現在は12日間)、修正されている。
<公職選挙法31条(抜粋)
衆議院議員の任期満了に因る総選挙は、議員の任期が終る日の前三十日以内に行う。
2 前項の規定により総選挙を行うべき期間が国会開会中又は国会閉会の日から三十日以内にかかる場合においては、その総選挙は、国会閉会の日から三十一日以後三十五日以内に行う。>
第2項に基づくと、76年11月4日が臨時国会の会期末なので「三十一日以後三十五日以内」に該当する日曜日は12月5日しかない。伊藤は「こうみてくると、会期五〇日を見込んだ九月十六日の国会召集は十二月五日の投票日から逆算してみるとギリギリの日ではなかったか」、「十一月中に両院議員総会を開いて三木首相の退陣を決議してみても、首相が居すわって十一月十五日に選挙の公示をしてしまえば、いっさいが吹きとんでしまう」(前掲書、289ページ)などと、三木の恐ろしさを強調している。三木が万が一、選挙に勝利してしまえば政権を維持する。選挙期日をぎりぎりまで先に延ばして首相の座を死守しようとした「バルカン政治家」(注:小さな力しかないにも関わらず、強大な政治家たちの間で敵味方を目まぐるしく変えながら、自身の立場を作り上げていく政治家。欧州の火薬庫といわれたバルカン半島が語源)の凄味である。
76年の衆院選は、三木ら少数の主流派と「三木おろし」に加担した反主流派とに分裂した状態で行われたこと、ロッキード事件の影響で有権者からの「金権体質」に対する批判が自民党に集まったことから、自民党は過半数割れの大敗を喫した。三木は責任を取って退陣した。なお、渦中の角栄はトップ当選だった。
ただ、選挙で負けたものの、反主流派による「三木おろし」をしのぎ、衆院の任期満了まで政権を維持した三木の戦略は目を見張るべきものがある。実は、菅首相も三木と同様、任期満了まで時間を稼ぐことが自身にとって都合がいいと考えているのではないか。コロナについては、ワクチンが出回れば政権に追い風になるし、9月の自民党総裁選から一気に衆院選に向かう方が世論へのアピールとしては得策だからだ。