(2)は、来年度予算成立直後の4月解散、もしくは、通常国会終盤(6月上~中旬)の解散を想定している。結論からいえば、いずれの可能性も低い。4月解散だと、来年9月のデジタル庁創設に向けた関連法案成立が後回しになる。看板政策のデジタル庁創設を実績としてアピールしたいのが菅首相の本音だからだ。

 国会終盤の6月解散となると、7月上旬の投開票が有力視される東京都議選との「同日選」含みになってくる。同日選には、公明党が強く反対している。菅首相が公明党の反対を押し切ってまで6月の解散を断行するとは思えない。ちなみに都議の任期満了日は7月22日。開催の有無が不透明な東京オリンピックは7月23日に開会式を予定している。以上を踏まえると、都議選は7月4日、7月11日のいずれかが投開票日になる見通しだ(7月19日が祝日なので18日は考えにくい)。

 すると、必然的に(3)が現実味を帯びてくる。もちろん、五輪・パラリンピックが中止になる可能性がある。五輪が吹き飛べば、日程に空白が生まれ、8月解散もあり得るかもしれない。だが、都議選は7月上旬が想定されている上、自民党総裁選が9月に控えている。「総裁選直前に衆院選を実施して勝利すれば、総裁選をやらなくてもいい、もしくは無投票で済む」という指摘が出ているが、自民党がそれを許すとは思えない。自民党の歴史上、衆院選を優先して総裁選を後回しにした例はない。

1976年12月の衆院選がヒント

 来年の解散・総選挙の時期を占う上で、極めて参考になるケースがある。1976(昭和51)年12月5日に行われた衆院選である。現憲法下で唯一の任期満了選挙で、自民党が敗北し、三木武夫内閣は退陣した。

 76年の衆院選は「ロッキード選挙」と呼ばれている。2月に発覚したロッキード事件は政界を混乱の渦に巻き込み、7月には前首相の田中角栄が受託収賄などの容疑で東京地検特捜部に逮捕された。自民党内では田中の逮捕に積極的だった首相の三木を引きずり下ろすための「三木おろし」が激化したが、三木は驚異的な粘り腰を見せ、9月15日に改造内閣を発足させる。翌16日には会期50日間の臨時国会が召集された。会期末は11月4日、衆院議員の任期満了は12月9日に迫っていた。

 当時、数で優勢な反主流派は「三木が臨時国会中に突然解散に打って出るかもしれない」と警戒し、執拗に三木を退陣させようと画策した。そんな政争の最中、「12月5日の衆院選投開票」という日程をいち早く予見した人物がいた。池田勇人内閣で首相秘書官を務め、大平正芳の側近として大平政権の樹立に尽力した政治評論家・伊藤昌哉である。

 伊藤は自著『自民党戦国史』(ちくま文庫、上・下巻)の中で、任期満了の衆院選日程が臨時国会の召集・会期と連動していると分析し、三木の深謀遠慮に舌を巻いている。解散のタイミングがわからないまま、右往左往している反主流派たちの心理も描かれている。