密教の伝承は、師資相承が伝統であり、面受により、法は伝授される。

 だが、最澄は経典の借覧と書写を繰り返すことで密教を習得できると考えていた。

 さらに空海の返信の続きには、最澄へのいらだちが感じられる。

「私は、いまだ知りませんが、あなたは仏の化身か、それともただの凡夫でしょうか」

「密教の奥義を文にすることは良しとはされていません。心から心に伝えることを最重要視しています」

「文は、これは粕(酒粕)であり、瓦礫です。糟粕や瓦礫を真に受ければ、大切な真実が失われます」

「真を捨て、偽を拾うは、愚か者のすることです。愚か者のすることを、してはなりません。もう、経典は借りませぬよう」

 空海が最澄に伝えたかったことは、密教は如来との感応といった見えざるものとの交感の結果生じる「霊験」であり、「霊験」を生じさせるためには、霊的な感性が伴うということだった。

 そのため、面受による実践修行が重要で、その空気感は字面を追うだけの文章修行では真髄が伝わらないということなのだろう。

 最澄は、この返信に反論することはなく、弘仁7年(816年)2人は訣別する。

 その後、最澄が空海に預けた弟子の問題など、様々な悩みを抱えながら弘仁13年(822年)6月4日に亡くなった。