最澄は『理趣経』の解釈書『理趣釈経』を借りたいと、空海に手紙を送った。空海は、それを拒絶する。

 密教経典『理趣経』には、性欲は清いもので、男女の接触は菩薩の境地、との一節がある。

 空海の最澄への返信が「叡山ノ澄法師理趣釈経ヲ求ムルニ答スル書」『性霊集』に綴られている。

「『理趣釈経』を借りたいとの手紙をいただきましたが、理趣とは何か、あなたはご存じないようですね」

「理趣には本当の意味は3つあります。それは、耳で聞くこと。つまり言葉によるものです。そして目で見ること。それは物質であり、身体も物質です。そして心、それは自分自身の心です」

「つまり、あなたにはすでに理趣が具わっているのに、別のところに理趣を求めているようです」

「あなたは真理を紙の上の文章でのみ、真理を求めて追いかける人のようですが、真理は紙の上にあるのではなく、あなた自身の中に広がっているのです」

「密教には掟があります。それは正しい受け手以外には伝えてはならないということです。正しい受け手とは密行を修め、その心が如来と等しくなった人のことです」

「しかし、あなたは行をしていません。行を修める気があるかも分かりません」

「字面だけを追いかけて密教を学ぼうとしているのなら、そのこと自体、根本的に間違っているのです」

「もし、あなたが、密教を知りたいのなら、まず、行を修めなさい。そうすれば密教を教えて差し上げます」