人が社会生活の中で名誉欲や権勢欲を抱く理由とは

 直面している苦悩から脱却し、幸せな生活を送るにはどうしたらよいか。

 仏教で、「因果」は過去の行いと報いを指し、大乗仏教の学派の一つ瑜伽行唯識学派は、「因果」は人間存在の心の主体である阿頼耶識という潜在意識に蓄えられると説く。

 すべての事の発端である、「因」が潜在意識に入ると、将来の結果が生ずるべき「縁」が生じる。

「縁」が生じた結果が、あらわれることを「生起」。「因・縁」を示す「因縁生起」を略して「縁起」という。

「過去」の出来事のすべての原因には、「縁」があることを釈迦は原始仏教経典『相応部経典』の一節で、

「此(これ)に因(よ)りて彼(か)れ有り、此れ無くんば彼れ無し。此れ生ずれば彼れ生じ、此れ滅すれば彼れ滅す」と、「縁起」の法則を示している。

「此」は「煩悩」をあらわし、「彼」は苦を指す。そのこころは、

「煩悩が有れば、苦しみが有り」

「煩悩が無ければ、苦しみが無い」

「煩悩が生じれば、苦しみが生じ」

「煩悩が滅することで、苦しみが滅す」

 過去の行いに応じてそれ相応の報いがあるということを「因果応報」。

 親の過った行動の結果が、子供に災いを及ぼすことを「親の因果が子に報いる」。

 惚れてしまった以上、どんなに困難が待ち受けていようがやむを得ないことを「惚れたが因果」などの諺もある。

 天地間に存在するもののすべては、留まることなく変化し続ける。