世の中にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし
(世の中に桜がなければ、春は心のどかに過ごせましょう)
古今和歌集や伊勢物語に収録されているこの歌は、平安時代の歌人・在原業平が「桜の開花と散り際が気がかりで仕方がない」と、その心持ちを詠んでいる。
古来から愛でられてきた桜は、いまも日本国中の人々が一つの花の開花を待ち望み、また、散る時期には心寂しさ感じるものである。
奈良時代の貴族たちは花見を催したが、当時の花見は、桜ではなく梅の花であった。
中国から桜が伝わったことで、平安時代以降に桜を見る習慣が徐々に浸透していった。
日本で初めて桜の花見をしたのは嵯峨天皇で平安時代のこと。
天皇が地主神社を訪れた際、一重と八重が同じ枝に咲いているのが目に入り、その美しさに惹かれて車を引き返させた。
翌年、地主神社の桜の枝を京都御所に献上させて、宮中の庭で弘仁3年に桜の花見を催したと『日本後記』「花宴之節」にある。
国語の教科書に広く採用され、『百人一首』の中で最も有名な歌の一つ、
久かたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ
は、平安時代歌人で36歌仙の一人・紀友則の代表歌である。
久しぶり太陽の日差しがのどかな春の日に、美しく咲く桜は、静かに落ち着いた心のままで散っていく、という、のどかでうららかな春の日という情景描写と短い期間に一瞬咲き誇り、あっという間に静かな心持ちではかなく散る、という桜の内面を描写している。