人は身体に痛いところがあると、そこに自然と手がいくものである。例えば、火傷をしたり怪我をしたりすれば、患部に手をあてる。
なぜ、人は患部に手をあてるのか。
それは本能的に、手のひらに痛みを癒す力があることを知っているため、人は痛みを覚えた瞬間、反射的に手をあてるのだ。
病人を「手あて」するということは、もともとは痛みを抱える人の患部に手をあてることで痛みを取るということに由来する。
いま、「手あて」と聞くと、医者や看護師、救命士がけが人を治療するのが思い浮かぶ。
この「手あて」という療法は、人類発生とともに存在したものといわれ、誰が発明したというものではない。
こういった動作による癒しは、犬や猫やライオンやオオカミが傷口をなめて治すのと同じく、本能的に行われる療法である。
「物理こそが現実であり、科学が真実」こうした価値観が世界中に定着し150年あまりが経過した。
しかし、いまの科学者の多くは、こうした考え方が明らかに行き詰まっていると感じているという。
英国の歴史家であるアーノルド・J・トインビーは次のように述べている。
「文明は明らかに環境的に困難な状態になっても、人は固定観念と日常的に行われているパターンにこだわり、それに縛られたまま進む傾向がある」
「だが、いよいよ行き詰って限界や破綻が近づいたとき初めて、いままでとは異なる智慧と行動が受け入れられる」
「その独創的な智慧と行動は、時に過去に使われていたが、すでに忘れ去られたものであったりする」
「または、失われた古い技術、時代遅れとされてしまった哲学的真実を甦らせて、再利用することがある」