宇宙に中心があるとすれば、それは一体どこになるのか。写真はアンドロメダ星雲

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「空」は究極の覚りではない

 人類は太古の昔より、天に、山に、大地に、海に・・・、祈りをささげてきた。

 また、森羅万象に祈り、先祖に祈りをささげた。そこには、目に見えない何かが棲まう、もしくは宿ると信じられてきたからである。

 釈迦が説いた仏教は、紀元前5世紀に釈迦という歴史的人物の教説に基づいた宗教で人間を中心とする教えである。

 釈迦が没した後、初期仏教の時代は礼拝すべきは経典であるとされた。だが、釈迦入滅500年を経過すると仏像や仏画など仏教芸術が花開く。

 釈迦が説いた仏教の本質は縁起にある。縁起とは他との関係が縁となり生起すること。釈迦の縁起は、経験に先立つ原理を完全に否定する。

 こうした考え方は哲学の非単調論理、数学の不完全性定理と同じといえる。

 その縁起をとりまくものの一つとして「空」があり、「空」は縁起の説明原理に過ぎない。

「空」を覚ることが究極ではなく、縁起を覚ることが釈迦の仏教の到達点である。

 縁起の要諦とは、この世に完全なものはない、未来永劫続くものなど何もないというもので、それを理解することが、覚るということと仏教は捉える。

 これに対し密教は、自然の中に仏を観るという思想、自然中心の教えである。

 密教は紀元2世紀頃、大乗仏教という新しい流れの中で生じた仏教の最終段階に出てきた教派である。