私たち人間の心は、いつも何かにとらわれている。とらわれは「苦しみ」の源である。自我にとらわれ、他者にとらわれ、小さな世界にとらわれる。
そこには、いつも小さなことを巡って、取るに足らないこと、ちょっとした個人的な意見や価値観の違いで、日々他者への攻撃、争いが見て取れる。
無知無明
生命は火に喩えられ、火も生命に喩えられる。一方、火は火災や戦火など死や禍を連想させる。
ギリシャ神話ではプロメテウスが混沌と無知、無明という暗闇の中に足掻く人間を哀れみ、全能の神ゼウスに人間に火を与えようと進言した。
だが、ゼウスは「無知ということは罪を知らないということで、誰かが人間に「それは不幸なことだよ」と指摘しない限り、人間は、それを不幸とは感じることができない生き物だ」と取り合わなかった。
そして「もし人間に火を持たせたら、人間は神同様、強力な存在となり、オリンポスを攻めにやって来るだろう」と付け加えた。
だが、プロメテウスはゼウスの言葉に納得せず、翌朝、日の出の火を少し盗んで人間に渡した。
人間は火を扱えるようになると文明や技術など多くの恩恵を受けたが、全能の神ゼウスの言う通り、人間は火を使って武器を作り戦争を始めた。
人類がいつ頃から火を使い始めたのか。はっきりしたことは分かっていない。
だが、火を使用した痕跡として最古のものは、160万年前の南アフリカにあるスワルトクランス洞窟にある。
また、140万年前の東アフリカのケニア、チェソワンジャ遺跡にも似たような痕跡が発見されている。