大如来は宇宙の真理、悟りの境地を体現した姿をあらわす

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なぜ「密」なのか

 密教は文字通り秘密仏教とも呼ばれ、秘密の教えである。

 一般の仏教は経典など文字によってすべての人々に教えが開かれているが、密教が一般的な仏教と異なる点について、空海は『弁顕密二教論』で次の3つの原則を示している。

 法身説法(宇宙生命体である大日如来が説いた教え)、果分可説(すべての森羅万象における真理は明らかにできる)、即身成仏(この身を通して仏となれる)である。

 密教は人間の感覚的なものを重んじている。

 曼荼羅、密教法具、灌頂(戒律や資格を正統な継承者になるために授ける儀式)における印信(師僧である阿闍梨が秘法を弟子に伝授した証拠の書状)や三昧耶形(さまざまな仏を象徴する物)など象徴的な要素が核となり、それらを授かれば、他者には示してはならないという掟がある。

 さらに密教の「密」には2つの意味がある。

 一つは隠れているもの、あらわれていないものを指し「密」は万物の奥に隠れている、というものである。

 もう一つの「密」の意味は、膨大な要素が詰まっているという意味である。つまり、存在する様々なもの、森羅万象の真諦がぎっしりと詰まり、それらはすべての根源をなす。

 その万物を生じさせる「密」は人間にも宿る。

 人に宿る「密」とは身体そのものである身密、生じる音である語密、意識の意密の3種類。

 それは、宇宙を構成する要素と同じであり、人と宇宙の物質や現象は同じ要素で生成され、それは私たちの発する音も、また宇宙に生じる音と同じであり、私たちの意識も宇宙の意識と同じであることを意味する。