1万800枚、一枚一枚真言を念じながら火にくべ続ける

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「為法不為身」(法のためにして、身のためにならず)「不惜身命」(身命を惜しまず)という仏語がある。

 我が国の生命を懸けて挑む荒行はいろいろあるが、なかでも比叡山の回峰行はよく知られている。

 だが、命の危険が伴い、密教行者が生涯に一度できるかどうかの荒行である八千枚護摩供は、秘法中の秘法ゆえに、世間にはあまり知られていない。

 私はプロの行者としての道を歩んで30年経過した50歳前半の時、密教史始まって以来の荒行となる秘法、百万枚護摩供という百万枚の不動護摩法に挑んだ。

 その軌跡を2回に分けてお伝えする。

三つ子の魂

 鹿児島は大変に修験の盛んな土地柄で、私は鹿児島大隅半島で、室町時代から500年以上続いてきた修験行者の家系に生を受けた。

 小学校に上がる頃には、父が考案してくれた子供用の行の作法を繰り返し行い、高野山大学で密教学を学ぶ前には正式な護摩行に入り、それから現在まで相も変わらず毎日、行に励んでいる。

息子の豪泉と著者。切り立った断崖で座禅を組む刀岳の禅

 さて、私が小さい頃、父に教えられたことは、まず読経せよ、読経したら刀岳(とうがく)の禅を組め、というものだった。

 この刀岳の禅というのは、高さ80メートルほどの切り立った断崖の突端で座禅を組むことを指す。

 行者の前に抜き払った白刃の刀を立て、背に断崖を背負っておこなう行である。

 途中で眠気がさして、のけ反れば断崖、前にのめると白刃の刀があるという絶体絶命の行のことを刀岳の禅という。

 まさしく、獅子がわが子を千尋(せんじん)の谷へ突き落とす行が、この刀岳の禅である。

 その禅を組んだら、修法をせよ、修法をしたならば護摩を焚け、護摩を焚いたら八千枚護摩を行えと、私は父から厳しく教えられてきた。