墜落のフライト

 巨大なジャンボジェットは尾根付近の木々をなぎ倒し、ばらばらに四散して、群馬県の名も無い山の頂を、卒塔婆に変えてしまった。

 多くの人々の胸を躍らせるフライト――だが、ひとつ間違えば、大勢の命がいとも簡単に奪われてしまうという、大きなリスクが常に潜んでいるという現実をまざまざと見せつけていた。

 燻り続ける御巣鷹山の狭い山頂の片隅で、毛布に包まれていた部分遺体。暗がりのモノトーンの世界の中で、毛布の結び目から覗く指先の爪に塗られたペディキュアの鮮やかな色はあたかも日航の瑕疵を告発しているようだった。

(写真:橋本昇)
拡大画像表示

 日航は利益を優先するあまり、安全運航を怠っていたのだ。その結果一瞬にして命を奪われてしまった人々の無念の想いが墜落現場には立ち込めていた。「なぜ私たちが犠牲にならなければならなかったのか?」。ペディキュアの指は「死にたくなかった。いま直ぐ、命をかえしてください!」と私に悲しく訴えかけてきた。

 あれから35年。今も事故原因を巡り、もっともらしい説が書店の棚を飾り、SNSを賑わせる。だが、事故で失った520名の遺族や友人たちの想いは、今も変わらない。その後、どんなに墜落の原因が解明され、安全運航がなされようが、「なぜ死ななければならなかったのか」という苦悶が心の奥に深く刻まれたまま、35年歳の歳月が過ぎていったのだ。

 日航はこの事故以来、大きな事故は起こしていない。やればできるのである。それをあの事故が起こるまで怠っていた事実は許されない。

 隆起した入道雲空の遥か上を、旅客機が南へ飛んでいく。それを目で追いながら、今年もあの“暑かった夏”を思い出すだろう。