墜落現場に建てられた昇魂之碑に手を合わせる遺族。今年も登ることができたよと犠牲者たちに報告した(写真:橋本 昇)

(フォトグラファー:橋本 昇)

 車は長いトンネルを抜けた。山に向かう一本道。その時、日常が遠く離れていくのを感じた。登山口に向かう車は列をなしている。人も多い。だが、どこかに迷い込んだような感覚を覚える。

 1985年の日航機墜落事故から38年となる8月12日、事故現場となった御巣鷹の尾根の慰霊登山に同行した。事故現場に立つのは事故の翌年以来だ。

 日常の中であの時の記憶は遠くなった。あの日、笹をかき分けて夢中で登り着いた事故現場で目に飛び込んできた光景も遠い記憶の中に埋もれている。御巣鷹の尾根に立って私は何を見るのだろう。

誰もが多くを語らず…

 御巣鷹の尾根は時を止めてはいなかった。登山道は階段に整備され、手すりやベンチが設けられて参拝者を出迎えていた。この3日間は事故の遺族関係者のみの登山だという。

犠牲者の眠る御巣鷹山の尾根を目指して登る遺族や友人たち。「慰霊登山」と言われている(写真:橋本 昇)

 登山道は階段になったとはいえ、かなりの段数がある。この階段と共に年を重ねてきた遺族も高齢になった。

「ほぼ毎年来ていたね。コロナとかなんかで今回は6年ぶりになったけどね。先ずここに登ってお線香をお供えして、後に地元でお盆を迎えるのが恒例行事でね。いつまで登れるかはわからないけれど、続けたいね」と穏やかに話をしてくれた男性は75歳、当時34歳だった弟さんを事故で亡くした。

「弟は出張の帰りにキャンセル待ちをしてあの便に乗ったらしい」と、彼は遠くを見るような目をした。

 誰もが多くは語らないが、それぞれの心の奥には言葉などでは語れない思いが詰まっている。そして、思い出はふとした時に現れるのだ。