事故から38年の年月が経ち、遺族も高齢化した。80代を過ぎ、腰も曲がった男性も杖を頼りに喘ぎ喘ぎ登って行った(写真:橋本 昇)

 当時38歳だった夫を事故で亡くしたという女性と話をした。女性は現在77歳。

「普段は足が痛くてね。もう登れないかと思ったけれど鎮痛剤が効いてね。ちっとも痛くないのよ」

 と、彼女はバッグから茶目っ気のある笑顔で湿布剤を取り出して見せた。

悲しみの場所でもあり、悲しみを受け止めてくれる場所でもある

 事故当時の話は避けてとりとめのない話をした。だが、話の最後に女性は立ち上がりながらポツリとつぶやくように言った。

「夫は出張に行ったのね…あとのことは何も覚えていないの。息子が保育園の時だった…あれから20年・30年の記憶は飛んでいるわね。気がついたら孫がいるのだけど」

 遺族は皆、「何故? どうして?」という叫びを心の奥に封印しながら毎年ここに登って来ていた。

520名の犠牲者の中には10代の若者もいた。遺族はお地蔵さんを供えて供養していた(写真:橋本 昇)

 西宮市から訪れていた68歳の男性はあの時入院中だったという。

「食あたりで入院していてね。親父が見舞いに来て『大丈夫だな』と言って帰っていったんだ。それが親父の最後の言葉。お袋から病院に電話がかかってきて、あっ乗っていたんだな、とその瞬間に思ったよ」

 ひとりの高齢の女性は「二人の子供。16歳と14歳だった。それしか言えない」と、両手を振った。