14カ月も漂流しアメリカに流れ着く

 山本音吉は明治維新の50年前にあたる1819年、愛知県知多郡美浜町に生まれました。佐野鼎は1829年生まれなので、音吉のほうが10歳年上ということになります。

 音吉が14歳のときです。見習いの水夫として乗り込んだ「宝順丸」という千石船が遠州灘あたりで大しけに遭い、遭難してしまいます。

 その後、なんと1年2カ月もの間、太平洋を漂流し続けたというから驚きですが、その間に起こった出来事は、14歳の少年にとってはあまりに過酷で、凄惨を極めるものだったに違いありません。

 狭い船内には、同郷の乗組員が14人乗っていました。しかし、食料はすぐに底をつき、仲間たちはビタミン不足による壊血病で次々と亡くなってしまいます。最後には、最年少だった音吉を含め、3人だけがなんとか生き残ったそうです。

 1833年、瀕死の3人が漂着したのは、北米のインディアン居住区でした。しばらくの間、そこで生活していたのですが、ある日、イギリスのハドソン湾会社に発見され、引き取られることになったのです。

 当時の太平洋には航路などほとんどなく、北米の西海岸は未開の地でした。そこへ、ニッポンの少年たちが海を渡って漂着してきたのですから、当時のイギリス人にとってはまさに驚きの事件だったでしょう。

 彼らは約3年間、マカオに住むドイツ人宣教師に預けられ、ここで聖書『ヨハネ福音書』を日本語に翻訳する仕事などを任されたといいます。