(柳原 三佳・ノンフィクション作家)
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の解除を受け、6月19日、ようやく県外への移動制限が解除されました。週末は日本各地の名所にも観光客が戻ってきたようですね。
私も、4月に予定されていた親族の法事が延期となっていたのですが、解除翌日の6月20日に営まれることになり、東京・神楽坂の清隆寺へ参ってきました。
このお寺は、勝海舟の先祖の菩提寺として知られており、また、本連載の主人公で、海舟とも交流のあった佐野鼎(さのかなえ)の墓所でもあります(現在は青山墓地へ移動)。
『開成をつくった男 佐野鼎』(柳原三佳著・講談社)の中には、幕末に夭逝した佐野鼎の愛娘(長女・茜)のお話が出てきますが、まさに、このお寺に保管されていた過去帳の中にその名が記されており、命日まで知ることができたのです。
もし、昭和20年の東京大空襲で過去帳が消失していたら、こうした事実もすべて闇の中に消え去っていたことでしょう。
訪米団の目をくぎ付けにした「バルウン」
さて、このところ感染症にまつわる歴史の話題ばかり追いかけていましたが、移動制限も解除されたとのことですので、本連載も再び「万延元年遣米使節」の壮大な旅の話に戻すことにしましょう。
1860年、今から160年前の幕末、日米修好通商条約の批准書を交わすため、米軍艦でアメリカへと向かった幕府の使節団は、ワシントンのホワイトハウスでブキャナン大統領と面会し、その後、ニューヨークへと向かいました。
その途中、フィラデルフィアに立ち寄った時期が、西暦で言うとちょうど今の季節、6月頃に当たります。江戸を発って約4カ月後のことでした。
佐野鼎ら下級の随行員たちは、数日間のフィラデルフィア滞在中、市中のさまざまな施設を視察しました。ペンシルバニア大学や付属図書館、造幣局、製鉄所、劇場、障害者施設、孤児院、貧民院、書店、高級統計店・・・、そして、それぞれに詳細なレポートやスケッチを日記に残していました。
中でも、フィラデルフィア滞在中、彼らの目をくぎ付けにしたのは、ポイント・ブリーズという郊外の野原で、空高く舞い上がった「バルーン」(気球)でした。
幕末の日本にはまだ馬車もありませんでした。ましてや「人が空を飛ぶ」ということなど、とても考えがおよばないことだったはずです。しかし、当時の欧米では、1700年代から気球の開発が進み、すでに移動や戦争に用いていたのです。